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Author:wingsfan
ポール・マッカートニー&ウイングス のトリビュート LIVE フェスティバル WINGSFAN をプロデュースしてい ます。このブログは私が日常生活 の中で興味を持ったことやウイン グスや WINGSFAN などに関する 情報などを毎日掲載しています。
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ジョン・レノンはなぜ参加を決めたのか? ジョン・ブラウワーが語る伝説的フェスの裏側 |
ロックンロールのレジェンドたちが集結し、ジョン・レノンがプラスティック・オノ・バンドの一員として初めて大観衆の前に立った〈トロント・ロックンロール・リバイバル 1969〉。この伝説的フェスを扱ったドキュメンタリー映画 リバイバル69 ~伝説のロックフェス~ のメイン・コメンテーターであり、フェスの企画者であるジョン・ブラウワーにオンラインでインタビューすることができた。かの伝説的なフェスは、いかに企画され、実施に至ったのか。ブラウワーの言葉を挟みながら、フェスの概要や時代背景、映画の見どころをご紹介したい。
ロックンロールのレジェンドたちが集結するフェスをやろう! 1969年9月13日、カナダ・モントリオール州トロントで開催された音楽フェスティバル〈トロント・ロックンロール・リバイバル 1969〉は、チャック・ベリー、リトル・リチャード、ジェリー・リー・ルイス、ジーン・ヴィンセント、ボ・ディドリーといったロックンロールの創生期である1950年代に活躍したレジェンドたちが一堂に会するリバイバル・ショーとして企画された。このたび公開される「リバイバル69 ~伝説のロックフェス~」は、このフェスがトロントの音楽好きの青年たちによって企画され、紆余曲折を経て開催の日を迎えるまでの一部始終をスタッフの視点から追ったドキュメンタリー映画である。フェスを企画した中心人物は、22歳の音楽プロモーター、ジョン・ブラウワー。彼は同年の6月に主催した〈トロント・ポップ・フェスティバル〉に、ザ・バンド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、スライ&ザ・ファミリー・ストーンら25組以上のアーティストをブッキングすることに成功する。トリを務めたチャック・ベリーが熱狂的に歓迎されたことに気を良くして「今度はロックンロールのレジェンドが勢揃いするリバイバル・ショーを開催しよう」と〈トロント・ロックンロール・リバイバル 1969〉を企画。〈トロント・ポップ・フェスティバル〉に続くヘッドライナーとなるチャック・ベリーのほか、先に挙げた面々の出演も順調に決定する。しかし、チケットは開催日の9月が迫ってもまったく売れない。ヒッピー/サイケデリック・カルチャー全盛の当時にあって、彼らレジェンドはすでに「過去の人」であり、そういった面々だけで固めたフェスは多くの若者に単なる「懐メロショー」だと認識されてしまったのだ。
「ジョン・レノンを呼べ」クレイジーな提案が現実に 同時代のバンドの出演が必要だと考えたブラウワーは、デビューまもないシカゴやジム・モリソン率いるドアーズの出演を取りつけたが、それでも開催1週間前の段階のチケットの売り上げは2000枚。損益分岐点の9000枚には遠く及ばない状況だった。困り果てたブラウワーに「ジョン・レノンを呼べ」とアドバイスしたのは、このイベントでMCをすることになっていたキム・フォーリー。プロデューサー/アーティストとして、現在もカルト的な人気を誇る人物である。このアドバイスに対して、当のブラウワーはどう感じたのだろうか。
最初は「何てクレイジーなことを言っているんだ」と思いました。本番まであと1週間しかなかったし、ジョンは長いことコンサート活動から遠ざかっていた。私の妻や仲間たちも口を揃えて「あのジョン・レノンが出てくれるはずがない」と言いました。でも、今にして思えばキム・フォーリーの読みは正しかった。彼はすべての状況を理解した上で僕にジョンを推薦したんです。当時のジョンは確かに演奏活動を止めていたけれども、再び人前に出るタイミングを探していました。それもビートルズとは違う形でね。加えて同じステージに立つのは、彼がティーンエイジャーの頃に影響を受けたスターばかりだから、共演したくないはずがない。ビートルズはハンブルグでの下積み時代にジェリー・リー・ルイスの前座をやったことがあるし、チャック・ベリーやリトル・リチャードの曲を愛情たっぷりにカヴァーしています。ジョンやポールが最初に憶えたロックンロールのひとつがジーン・ヴィンセントの「BE BOP A-LULA」であることも有名な話です。そういうことをすべて知っていたから、彼は僕に「ジョンを呼べ」と言った。実際にジョンと(オノ・)ヨーコのマネジメント事務所に電話をしてみると、キムの言う通りジョンは快諾してくれました。最初はMCだけでもやってくれたらラッキーと思っていたのですが、バンドを連れて行って演奏すると言ってくれた。結果的にこのステージがプラスティック・オノ・バンドのデビューになったことを、今も光栄に思っています。 (ジョン・ブラウワー)
ビートルズの終わりと新バンドの始まりの狭間で 1969年のジョン・レノンは、ちょうどビートルズの終わりとプラスティック・オノ・バンドの始まりの狭間に立っていた。9月の〈トロント・ロックンロール・リバイバル 1969〉に至るまでのジョンの主だった活動をまとめると以下のようになる。
1月2日 ビートルズとして、のちにアルバム「LET IT BE」としてまとめられる通称「GET BACKセッション」を開始 1月30日 アップル社のビル屋上にて、結果的にビートルズ最後のライヴ・パフォーマンスとなる「ルーフトップ・コンサート」を敢行 3月2日 ケンブリッジで開催された前衛ジャズ・フェスティバルに、ヨーコとともにサプライズ出演 3月20日 ジブラルタルでヨーコと結婚式を挙げる 3月25日~31日 ヨーコとオランダ・アムステルダムで平和を願うイベント〈ベッド・イン〉を開催する 5月9日 ヨーコとの共作アルバム第2弾「未完成作品第2番(Unfinished Music No. 2: Life With The Lions)」をリリース 5月26日~6月2日 ヨーコとカナダ・モントリオールで2度目の〈ベッド・イン〉を開催。会場で「Give Peace a Chance」を録音する 5月30日 ビートルズのシングル「The Ballad of John and Yoko」をリリース 7月1日 プラスティック・オノ・バンド名義のデビュー・シングル「Give Peace a Chance」をリリース 7月1日~8月25日 ビートルズのアルバム「ABBEY ROAD」のためのレコーディングを断続的に行う 9月13日 トロント・ロックンロール・リバイバル 1969 に出演 9月20日 ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターにビートルズを脱退する意向を伝える 9月26日 アルバム「ABBEY ROAD」をリリース
「GET BACKセッション」と「ルーフトップ・コンサート」の様子をとらえた2021年のドキュメンタリー映画を見ると、この時期のビートルズ4人の関係は今まで伝えられてきたほど険悪ではなかったことが分かる。とは言え、1966年にヨーコと出会って以降、ジョンの関心がビートルズからヨーコとの活動へと段階的に移り変わっていったことは間違いなく、9月13日にトロントへ向かう飛行機の中でジョンはプラスティック・オノ・バンドのメンバーにビートルズから脱退することを明言している。プラスティック・オノ・バンドはジョンとヨーコ以外のメンバーを固定しない流動的なスタイルを採っているが、初ステージとなるこの時の編成は、ジョンとヨーコにエリック・クラプトン(ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、アラン・ホワイト(ドラム)を加えた6人編成。直前に参加メンバーの名前を伝えられたブラウワーは、その情報をラジオDJの協力を得てカナダや北米に告知。その効果があり、2000枚しか売れていなかったチケットは飛ぶように売れ、最終的には2万5000人とも言われる観客が会場のヴァーシティ・スタジアムに詰めかけた。
計80台のバイクがジョン一行を会場までエスコート この映画のハイライトとなっているのが、トロント空港に到着したジョン一行をエッジョー・レスリー率いるバイカー集団がヴァーシティ・スタジアムまで先導するエピソードである。レスリーはトロントで大きな影響力を持つモーターサイクル・クラブの会長であり、その影響力と幅広い人脈でカナダのロック・シーンをサポートしてきた人物。この時も数十台のバイクでジョンたちの乗るタクシーをエスコートすることで、「あのジョン・レノンがトロントへやって来た」という事実を国内外へ強烈なインパクトとともに周知する役割を果たした。ブラウワーは、この時のことを以下のように振り返る。
ジョンとヨーコには、エッジョー・レスリーの率いるバイク集団がエスコートすることを知らせていませんでした。彼らへのサプライズとして、当日まで内緒にしていたんです。実際に出発する段階になって、ものすごい数のバイクを目にしたジョンは「こいつら大丈夫なのか?」という顔で僕を見て、そっとハイヤーのドアのロックを閉めました。それで私が「彼らを呼んだのは僕だ。君たちを会場まで安全に送り届けるよ」と伝えると、ジョンの表情は穏やかになり、その状況を面白がってくれた。ビートルズのメンバーですから、ジョンの乗る車がバイクにエスコートされること自体は珍しくありません。でもそれは普通、前後に2台ずつぐらいでしょう? この時はエッジョーの働きかけで、僕らの乗る車の前に20台、後ろに60台ものバイクが付きました。ジョンたちが実際にトロントに到着するまで、関係者を含むほとんどの人が半信半疑でした。「あのジョン・レノンが、わざわざトロントまでやって来るはずがない」と。彼のマネージャーのアラン・クラインでさえ「彼はきっと行かないと思う」と電話で私に言ったのですから。でも私たちは、なんとかそれを実現させることができた。派手なエスコートも含めて、今ではとても考えられないことです。 (ジョン・ブラウワー)
プラスティック・オノ・バンドの鮮烈な初ステージ 1966年8月にビートルズがコンサート活動を中止して以来、久しぶりに大衆の前に立つジョンは、嘔吐するほど緊張していたと言われている。そんなジョンを見かねたジェリー・リー・ルイスが「ハンブルク時代を思い出せ」と叱咤激励したという話もある。この映画の中では緊張したジョンがブラウワーにコークを欲したというエピソードが紹介されているが、実際にステージに立ったジョンは熱狂的な観客の声援に圧倒されながらも熱量の高い8曲を披露している。最初の3曲「Blue Suade Shoes」「Money」「Dizzy Miss Lizzy」は、ぞれぞれカール・パーキンス、バレット・ストロング、ラリー・ウィリアムズのカヴァー。3曲ともビートルズとしての録音も残されている。フェスの趣旨を汲んだこの3曲でウォーミング・アップを済ませたジョンとバンドの面々は、ビートルズの「Yer Blues」、これが初演となるジョンの新曲「Cold Turkey」と演奏を続ける。ほぼぶっつけ本番ということもあり、特に「Cold Turkey」の演奏はラフだが、ヨーコの叫び声は観衆に鮮烈な印象を与えた。続いてバンドは7月にリリースされたばかりのプラスティック・オノ・バンドのデビュー曲「Give Peace a Chance」を演奏。最後の2曲「Don’t Worry, Kyoko」「John John(Let’s Hope for Peace)」は、改めてヨーコのアヴァンギャルドな叫び声を前面に押し出した楽曲で、エンディングではアンプの前に立てかけたジョンのギターがフィードバック・ノイズを鳴らし続ける中、バンドはステージをあとにする。
当日の彼らの演奏曲については、私たちは一切知らされていませんでした。飛行機の中で演奏曲を決めて、ほとんどリハーサルもないままにステージに上がったわけですから、知る術もなかった。しかし最初の3曲を聴いて、ジョンがこのフェスの趣旨をよく理解してくれていることが分かりました。初演の「Cold Turkey」やヨーコの2曲も素晴らしかったけれども、ジョンが一番手応えを感じたのは間違いなく「Give Peace a Chance」だったはずです。2万人を超える聴衆がピース・サインを掲げて一緒に歌う光景を見て、彼は次のステージへ進むことを決めたのだと思う。終演後の楽屋で、ジョンは私に「こんなに自分が生きていると感じることができたのは初めてだよ」と話してくれました。ビートルズが解散してしまったことはもちろん私も残念です。でも、ジョンがヨーコと新しい一歩を踏み出す機会に立ち合えたことは、とてもラッキーだったと今も感じています。 (ジョン・ブラウワー)
若き音楽プロモーターの青春記として見たい ピアノを叩いてシャウトするリトル・リチャード、軽快にダック・ウォークをきめるチャック・ベリー、魂を解放した叫びやフィードバック・ノイズで観衆をアジテートしながらも平和を訴えるジョンとヨーコ。〈トロント・ロックンロール・リバイバル 1969〉当日の映像はこれまでも様々な形で公開されてきたし、プラスティック・オノ・バンドの演奏は「LIVE PEACE IN TRONTO 1969(平和の祈りを込めて)」というタイトルで1969年12月にライヴ・アルバムとしてリリースされている(ドアーズのみ、バンドの意向により映像が残っていない)。
私は物心がついた時から音楽が好きで、少年時代は教会で聖歌隊に所属し、高校時代は幸運にもカナダで人気のあったディプロマッツというバンドのメンバーになることができました。ただ音楽が好きでいろんな場所に顔を出していただけなのですが、気がついたらコンサートを企画してアーティストを招聘するプロモーターになっていた。〈トロント・ロックンロール・リバイバル 1969〉に1ヵ月ほど先行して開催された〈ウッドストック・フェスティバル〉は、3日間で約40万人を集めたロック史上最大規模のフェスです。こちらの動員数は1日で約2万5000人ですから、数としてはウッドストックにまるで及びません。でも、私たちなりにベストを尽くしたし、若いから無茶な挑戦もすることができた。あの時代の空気感を、少しでも多くの人と共有できれば嬉しいです。 (ジョン・ブラウワー)
本作は、レジェンドたちの集結とジョン・レノンの新たな第一歩を記録した伝説的なフェスを題材とするドキュメンタリー作品であると同時に、偶然の積み重なりから巨大な音楽ビジネスの渦に飛び込むことになった若き音楽プロモーターの青春記としても見ることができる。音楽ファンだけでなく、何かを自分の手でスタートアップしたいと考えるすべての人に見ていただきたいドキュメンタリー映画である。
ジョン・ブラウワー ライターであり、ロック・フェスティバルのPop 69(Newport 69 Pop Festival)やトロント・ロックンロール・リバイバルのプロモーター。高校時代に当時人気のあったバンド「The Diplomats」に所属。彼が初期に手がけたコンサートはロック・プロモーションがトロントの最大の輸出サービスとなる道を開拓。トロントにメジャーのロックアーティストを毎週カナダに呼び寄せることに成功した最初の人物である。1969年6月に開催された彼の最初のポップ・フェスティバルは、ウッドストックに数ヵ月先行して行われた。その他、カナダのウッドストックと言われる The Strawberry Fields Festival、80年代を切り開いたニュー・ウェーブ音楽の画期的な転換点となったThe Heatwave Festivalなどを手掛けた。現在、音楽ビジネスにおいて個人的な経験を基にした映画やテレビ作品の制作を行っている。
Thanks! ムビコレ
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2CD ジョージ・ハリスン All Things Must Pass:AI - Audio Companion 10月6日発売 |
All Things Must Pass:AI - Audio Companion / ジョージ・ハリスン 10月6日発売 70年代オリジナル・アナログ・マスターから当時のオリジナル・ミックスをデジタル・トランスファー収録! AI音源解析マルチトラック編集による最新リミックスを収録! ボーカルを際立たせてシンプルな演奏トラックで再構築したネイキッド・バージョンを収録。オリジナル音源と最新リミックスのそれぞれ全く異なるバージョンをアルバム2枚組 各18曲収録。ビートルズ解散後初となる1970年に発表されたジョージ・ハリスンのソロ・アルバム「オール・シングス・マスト・パス」。レコード3枚組の大作ながら全英全米共にアルバム・チャート第1位を記録した彼のソロ・キャリアにおける代表作でこれまで何度もリイシューが発売されCD化以降リマスターが繰り返されてきたアルバムとして数多くのフォーマットがリリースされています。今回の《AIオーディオ・コンパニオン》ではデジタル・リマスター化されていない発売当時のオリジナル・アナログ・マスターとAI音源解析による独自のマルチトラック新編集リミックスを収録。それぞれの音の違いを比較再生して聴き比べ出来る音源コレクションとなっています。Disc 1には「Original Analog Master」としてデジタル・リマスター化されていない発売当時のオリジナル・アナログ・マスター音源を収録。これまでのデジタル・リマスターされたCD音源と比べミックスや音の質感が異なるアナログ・レコード時代のオリジナル・ミックスを完全再現しています。DISC2には「AI Remix Digital Remasters」としてAI音源解析マルチトラック編集による独自の最新リミックスを収録。このリミックスではストリングスやオーバーダブを取り除いてボーカルを際立たせ再構築したネイキッド・バージョンでエフェクトなしのリアルな声とシンプルな演奏となっており、これまでの数あるリマスター音源とも異なるリミックスとなっています。今回オリジナル収録のジャム・セッションやインストゥルメンタルは未収録ですが、オリジナル音源と最新リミックスのそれぞれ全く異なるバージョンをアルバム2枚組分のボーカル曲の各18曲を収録。名盤アルバムをそれぞれ異なる音源で比較試聴出来るサウンド研究の最新リファレンスとして楽しめる《AIオーディオ・コンパニオン》注目の最新シリーズです。
Disc 1 Original Analog Master I'd Have You Anytime My Sweet Lord Wah-Wah Isn't It A Pity What Is Life If Not For You Behind That Locked Door Let It Down Run Of The Mill Beware Of Darkness Apple Scruffs Ballad Of Sir Frankie Crisp (Let It Roll) Awaiting On You All All Things Must Pass I Dig Love Art Of Dying Isn't It A Pity (Version Two) Hear Me Lord
Disc 2 AI Remix Digital Remasters I'd Have You Anytime My Sweet Lord Wah-Wah Isn't It A Pity What Is Life If Not For You Behind That Locked Door Let It Down Run Of The Mill Beware Of Darkness Apple Scruffs Ballad Of Sir Frankie Crisp (Let It Roll) Awaiting On You All All Things Must Pass I Dig Love Art Of Dying Isn't It A Pity (Version Two) Hear Me Lord
Remix Remaster and Compiled by SUPERB PREMIUM 2023
Thanks! Strangelove Records
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