ジョージ・ハリスンのアルバム「オール・シングス・マスト・パス」50周年記念盤のリリースを記念して、リンゴ・スター、ジェフ・リン、ジョー・ウォルシュ、アル・ヤンコビック、俳優のマーク・ハミル、ロザンナ・アークエットらが出演するマイ・スウィート・ロードのミュージック・ビデオが公開された。ランス・バングスが監督を務め、ジョージの息子ダニーがエグゼクティブ・プロデューサーを務めている。ダニーとジョージの妻オリヴィアもカメオ出演しており、ジョージ本人も過去の映像により登場する。音源は2020年のポール・ヒックスによるミックスが使用されている。同ビデオは、映画「スター・ウォーズ」のルーク・スカイウォーカー役で知られるマーク・ハミルが、ある一本の電話を受けるところから始まり、電話相手の男は「目に見えない何かが、また現れた」と不気味な口調で彼に伝える。電話を切ったマークは、振り向きざまに現れたフレッド・アーミセンに現場を調査するように依頼し、特別捜査官のフレッド・アーミセンはヴァネッサ・ベイヤーを連れて、本が物理的に不可能な弧状に積み重ねられた図書館で潜入捜査を始める。マークに渡された懐中電灯と“見えない何か”に反応する謎のスキャナーを持って現場へと向かった2人はスキャナーを使って本のページや本を読んでいる子供たちなど、図書館中をくまなく調べ上げるが、結局何も発見できなかった。図書館を後にした2人は途中で分かれ、フレッド・アーミセンは映画館へと向かい、そこで待っていたダレン・クリスと合流。支配人のパットン・オズワルトに入場を一瞬止められかけるも、無事に中へ入り、調査を開始する。観客席にはロザンナ・アークエット、アツコ・オカツカらが観客としてカメオ出演。スクリーンにはジョージの映像が映っており、懐中電灯の光によって視界を妨げられて激怒したリンゴ・スターとジョン・ウォルシュがフレッドにポップコーンをぶちまける。その後、ジョン・ハムからビデオ通話で「たくさんの捜査官をヘルプに向かわせる」と言われ、ホッとしたフレッド。捜査官としてダニー、タイカ・ワイティティ、ジョージの妻オリヴィアらが登場する。謎は解かれないまま、見えないものを探求することは生涯の使命であるというメッセージが秘められたこのビデオの撮影はダウンタウンの The Last Bookstore から Vista Theatre まで、ロサンゼルスを象徴する数々のロケーションで行われた。ランス・バングス監督は「この作品の制作は、私の人生で最も充実した経験のひとつでした。このビデオでは、身の周りの極めて抽象的な不可思議さに気づかないまま捜査を続ける捜査官や検査官たちを描きながら、曲を視覚的に表現するというアプローチをとっています。ボーカルのメロディー、ギターのリズム、ドラムのパターン、コードの変化などの音に合わせて、映像を振り付けました。ジョージは過去のどのビデオにもユーモアのセンスを織り込んでいたので、その精神はそのままに、彼の友人や彼の音楽を愛する人、現在のコメディ界で活躍している人たちでキャストを埋め尽くしました。それからジョージの“ハンドメイド・フィルムス”が製作した映像作品にも使われたヴィンテージのプライム・レンズを探し出しました。この作品を見みる人に不可思議さや探求心を感じてもらいたいですし、この曲が私たち皆の人生にとってプラスになり続けることを願っています」と述べている。前述のキャストに加え、俳優のダレン・クリス、ジョン・ハム、コメディアンのモシェ・キャッシャー、ナターシャ・レゲロ、コメディ・デュオのティム&エリック(ティム・ハイデッカーとエリック・ウェアハイム)、ガーファンクル&オーツ(ケイト・ミクーチとリキ・リンドホーム)、そして映画監督で、脚本家、映像作家のシェパード・フェアリーなど、総勢40人以上のミュージシャンや俳優、コメディアン、クリエイターらが出演している。同ビデオの全出演者は以下のとおり(出演順)
Mark Hamill Fred Armisen Vanessa Bayer Moshe Kasher Natasha Leggero Jeff Lynne Reggie Watts Darren Criss Patton Oswalt Al Yankovic David Gborie Sam Richardson Atsuko Okatsuka Rosanna Arquette Brandon Wardell Ringo Starr Joe Walsh Jon Hamm Brett Metter Anders Holm Dhani Harrison Rupert Friend Angus Sampson Taika Waititi Eric Wareheim Tim Heidecker Kate Micucci Riki Lindhome Alyssa Stonoha Mitra Jouhari Sandy Honig Olivia Harrison Aimee Mullins Courtney Pauroso Natalie Palamides Shepard Fairey Claudia O'Doherty Tom Scharpling Paul Scheer Sarah Baker
The first-ever official music video for George's iconic "My Sweet Lord" premieres this Weds, Dec 15 at 9AM PT | 5PM GMT on YouTube. Featuring an all-star cast of more than 40 musicians, actors and comedians, click here - https://t.co/4GqRbqYRR2 - and enable notifications. pic.twitter.com/MFc8AOSsyN
ジョージ・ハリスンのアイコニックな名曲My Sweet Lordの初の公式ミュージック・ビデオが12月16日午前2時(日本時間)に公開される。ジョージ・ハリスンの公式ツイッターに投稿されたこのビデオのティーザー映像では映画「スター・ウォーズ」のルーク・スカイウォーカー役として知られるマーク・ハミルが、メン・イン・ブラック風の衣装で登場したコメディアンで俳優のフレッド・アーミセンに謎めいた特製スキャナーの使い方を指導する様子が映し出されている。同ビデオに関して、現時点でまだ多くは明かされていないが、大きな役所を担うと思われるこの2人の映像は米ロサンゼルスのダウンタウンにある The Last Bookstore で撮影されたそうだ。今年発売50周年を迎えたジョージ・ハリスンの傑作アルバム「All Things Must Pass」に収録されている「My Sweet Lord」はジョージにとって自身初の全米・全英No.1シングルであり、1971年に英国で最も売れた楽曲として知られている。たが、ジョージが作曲したこの「My Sweet Lord」を最初に録音したのはジョージではなかったことをご存知だろうか。彼はこの曲をビリー・プレストンに提供し、1970年9月にリリースされたアルバム「Encouraging Words」に初収録された。ビリー・プレストンの同アルバムにはエリック・クラプトン、ボビー・ウィットロック、カール・レイドル、そして今作の直後にデレク・アンド・ザ・ドミノスを結成したジム・ゴードンなど「All Things Must Pass」にも登場し、この時期のジョージ・ハリスンの音楽世界と密接に繋がっていたミュージシャンたちが多く参加している。ボビー・キーズとジム・プライスがホーンを演奏し、ビリー・プレストンの「My Sweet Lord」ではエドウィン・ホーキンス率いるゴスペル・シンガーたちがバック・ボーカルを務め、ゴスペル特有のサウンドに仕上がっている。一方で、ジョージ・ハリスンの「My Sweet Lord」のレコーディングはアビイ・ロード・スタジオでのセッションを共同プロデュースしていたフィル・スペクターと共に行われ、このバージョンにも参加したビリー・プレストンをはじめ、エリック・クラプトン、リンゴ・スター、ジム・ゴードン、そして当時アップル・コアと契約していたバッドフィンガーの4人のメンバーも参加した。最終バージョンの制作にあたり、ジョージとフィル・スペクターは、数あるリズム・トラックの中から、ベースにクラウス・フォアマン、セカンド・キーボードにゲイリー・ライトらを起用したマスター・テイクを選んだ。また、メイン・セッション後にピーター・フランプトンがアコースティック・ギターを加えた可能性もあるとされている。ジョージのスライド・ギター・パートとジョン・バラムによるオーケストラ・アレンジは英ロンドン中心部にあるトライデント・スタジオでオーバー・ダビングされている。
その年を代表するシングル 「Isn't It A Pity」との両A面でリリースされた「My Sweet Lord」は1970年12月26日付の全米シングルチャートで1位を獲得、最終的に4週間1位を記録した。英国でもひっきりなしにラジオで流れたため、最終的には1971年1月23日にシングルがリリースされ、翌週には1位を獲得した。また、1971年が終わる頃、「My Sweet Lord」はメロディ・メーカー誌の「年間最優秀シングル」と「世界の年間最優秀シングル」の両方の部門で読者投票による1位を獲得し、1972年7月にはこの曲は英国の優れたソングライターに与えられるアイヴァー・ノヴェロ賞を2つもジョージにもたらしたのだった。2001年1月にジョージは「オール・シングス・マスト・パス」のリマスター盤の発売にあたり、この曲の新バージョンをボーナス・トラックとしてアルバムに収録した。その新バージョン「My Sweet Lord (2000)」ではジョージの友人のジョー・ブラウンの娘サム・ブラウンがジョージとボーカルを分け合い、息子のダニー・ハリスンのギターとレイ・クーパーのタンバリンを含む、ほとんど新録音の演奏がバックを務めている。このバージョンはジョージの没後2002年1月にリリースされたオリジナルの「My Sweet Lord」のシングルにも収録されている。このバージョンは2002年1月26日付の全英チャートで1位となり、同じアーティストによる同一曲で2度1位になったという正に一握りの曲が持つ記録を達成した。エルヴィス・プレスリーがそのような記録を3曲について持っているが、それ以外の唯一の曲はクイーンの「Bohemian Rhapsody」だ。
ジョージの歓喜に満ちた歌 1971年、ジョージは1960年代のガール・グループ、ザ・シフォンズの「He's So Fine」の音楽出版社から著作権侵害の訴えで告訴された。1976年に判事はジョージの著作権侵害を認めたが、次のように書いている。「ハリスンは意図的に「He's So Fine」の音楽を使用したのか? 私はそうは思わない。しかしながら「My Sweet Lord」が異なる歌詞を持ちながら「He's So Fine」と同一の曲であり、ハリスンが「He's So Fine」を耳にする機会があったことは明らかである。これは法の下では著作権侵害であり、例えその使用が無意識下で行われたとしてもその行為を減じるものではない」。損害賠償金に関する裁判は何十年にもわたって延々と続き、そこで論じられた法律の詳細なポイントはあまりに複雑で冗長なのでここではそれには立ち入らないことにする。とにかく、ジョージ・ハリスンのこの歓喜の歌は多くの人に深い喜びを与え、困難やストレスそして様々な問題に悩むその他の人々の気持ちを高揚させた、真に深く記憶に残るレコードだ、とだけ言っておこう。どんなミュージシャンでもそれ以上の素晴らしい贈り物を届けてくれることができるだろうか?
1969年1月、ジョージ・ハリスンは一時的にビートルズを脱退していた。前年11月、ザ・バンドのウッドストックのホーム・スタジオを訪れた際、彼らが和気あいあいとこの上なく楽しげに録音作業に打ち込む姿を目のあたりにして、自分たちのバンドのピリピリと張りつめたセッションに幻滅したことが直接の引き金だった。彼がそこで目撃したものが示唆していたのは、もっと冷静で民主主義的な創作プロセスは可能なのだという事実だ。当時のストレスフルな環境からは「I Me Mine」や「Wah Wah」といった、口惜し紛れのような、だが同時にどこか求道的な曲が幾つも生み出された。「Run Of The Mill」も同じように自己探求色の濃い曲だ。皮肉なことに、この曲の当初の歌詞はアップルから来た封筒に走り書きされていたと言う。管理運営に関する意見の食い違いが原因でバンドを取り返しのつかない分裂状態に追い込んだ因縁の会社である。
1970年4月、ポール・マッカートニーが全世界に対してビートルズの解散を告げてから数週間後、ジョージ・ハリスンはニューヨークで自身のソロ・アルバム制作作業開始のタイミングについて、フィル・スペクターと話し合っていた。スペクターは「Run Of The Mill」をはじめ、彼が自作曲の中から選りすぐったナンバーのレコーディングをプロデューサーとして任されることになっていたのである。「Run Of The Mill」に込められた怒りの感情は明らかにマッカートニーに向けられたものだったが、この曲は同時に自らの行動を意識し、律することを促す警告的な物語としても機能している。ジョージはこう歌う。
No one around you will carry the blame for you No one around you will love you today And throw it all away
5月下旬、英ロンドンのアビー・ロード・スタジオで、スペクターと共にニュー・アルバムのセッションが開始された。結果として生まれたアルバム「All Things Must Pass」には錚々たる有名ミュージシャンやゲストたちが協力者として名を連ねているものの、核となるチームは彼とエリック・クラプトンが1969年の一時期ツアー生活を共にしたデラニー&ボニーのオールスター・グループからハリソンによって起用された面々だった。フィル・スペクターの手によって、元々は内省的かつ牧歌的なささやかなアコースティック楽曲として生まれた「Run Of The Mill」は幾層にも重なったメロディの織り成す希望に満ちたアンセムへと構築されていった。当時セッションに立ち会っていたキーボーディストのビリー・プレストンはこう語る。「(スペクターは)独特の仕事の仕方をするからね。彼は沢山のキーボードに同じコードを弾かせて、その音を大きく、分厚くしていくんだ。俺たちは相当何回も、色んなオクターヴで同じコードを弾いてね、その作業の単調さったらもう、ゲンナリだったよ。でも彼はそうやって、いわゆるフィル・スペクター・サウンドを作り上げて行ってたんだ。俺は個人的には彼のサウンドは好みじゃないんだよね...だけどあの時のジョージの曲に関しては、あのやり方はパーフェクトだった」。
アルバム「All Things Must Pass」は1970年11月にリリースされ、全英アルバム・チャートの1位に輝き、6週連続でその地位に居座り続けた。アルバム自体のテーマには宗教的な影響も色濃く感じられるものの「Run Of The Mill」を通じて“寡黙なビートル”が表現したのは「パートナーシップにまつわる苦悩」と、グループの無惨な最期に対するこの上なく赤裸々な洞察だった。ジョージはメンバーたちに向かってこう投げかけている。
You got me wondering how I lost your friendship But I see it in your eyes
2001年、この世を去る僅か9か月前にジョージは「Run Of The Mill」を「All Things Must Pass」の収録曲の中でもお気に入りとして挙げていた。「あの曲の歌詞と、そこに込められているメッセージに特別な思い入れがあるんだよ」と言うのが彼の述べたその理由だった。同様に彼の妻であるオリヴィアもこの曲は亡夫の遺した楽曲の中で最も思い入れのある曲だと語っている。「とても美しい歌ですよね。それに、あの歌詞はとても勇気を与えてくれる“It's you that decides, Which way you will turn / どちらの方向に進むのか 決めるのはキミ次第”って。あの曲はこれからもずっと、あの人の素敵な忘れ形見ですね」。