つれづれなるままにWINGSFAN
Tribute Vlog for Paul McCartney & Wings
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ポール・マッカートニー&ウイングス
のトリビュート LIVE フェスティバル
WINGSFAN をプロデュースしてい
ます。このブログは私が日常生活
の中で興味を持ったことやウイン
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情報などを毎日掲載しています。 

wingsfan@wingsfan.net


クーラ・シェイカーとジョージ・ハリスンとポール・マッカートニーとジョン・レノン
クーラ・シェイカー

昨年のサマーソニックに続いて、クーラ・シェイカーが単独公演で日本に戻ってきた。しかも昨年12月にキーボード奏者、ジェイ・ダーリントンが電撃復帰! オリジナル・メンバーが揃うのはバンドが一旦解散した1999年以来、実に23年ぶりのことだ。ジャパン・ツアー初日の2月13日、東京・恵比寿ガーデンホールは7年ぶりの単独公演とあって見事にソールドアウト。「Hey Dude」で爆発的にスタートし、「Hush」で締め括った怒涛の本編は、おなじみの人気曲はもちろん、最新作「1st Congregational Church Of Eternal Love (And Free Hugs)」収録曲の魅力も存分に開花していた。バンド・グルーヴに拍車をかけるジェイのオルガンは、やはり効果絶大。曲に疾走感を与える「Whatever It Is (Im Against It)」や、ピンク・フロイドのリック・ライトを彷彿させる「Gingerbread Man」でのプレイを見ていると、彼が末期オアシスにサポートメンバーとして抜擢されたことが頷けるし、長い間失われていたパズルのピースがようやく埋まった、と実感もさせられた。ジェイが戻ってきたことで同窓会気分も少しあるのか、アンコールで「Govinda」のカップリング曲だった「Gokula」をプレイする際、クリスピアン・ミルズは初期にこの曲を書いたときのエピソードを語り始めた。「実はジョージ・ハリスンの曲(「Wonderwall Music」に収録された「Ski-ing」)からギターリフをまんまもらってきて作った曲なんだ」と屈託なく話す表情が、50歳になった今もロック少年丸出しで微笑ましい。演奏中、背景にジョージ・ハリスンの姿が投影される演出も絶妙だった。


インタビューは東京公演の当日、リハーサル終了後に楽屋で行なった。クリスピアン、ジェイと、リズム隊の要であるベーシスト、アロンザ・ベヴァンが出席。ジェイが復帰することになったいきさつや、すでにレコーディングが進んでいるというニュー・アルバムの話題、これまで訊く機会がなかったパーソナルな話題にも踏み込んで話してもらった。特に訊いてみたかったのが、クリスピアンの両親について。クリスピアンの母で女優兼歌手のヘイリー・ミルズが、のちにクリスピアンの父になるロイ・ボールティング監督と組んだ1966年の映画「ふたりだけの窓(The Family Way)」でサウンドトラックの作曲を担当したのは、何を隠そうあのポール・マッカートニーだった。単にビートルズのファンというだけでなく、クリスピアンは“ビートルズ関係者”の息子とも言えるのだ。デビュー当時の鼻っ柱が強いクリスピアンからは想像もできないが、近年は母が自伝を出版した折に親子でメディアの取材を受けるなど、母の活動を積極的にサポートしている。今ならそういう話題もありだろうと思い、まずはヘイリー・ミルズの話から始めてみた。

- 今日はクリスピアンにお母さんのレコードをプレゼントしようと思って持ってきました。きっと日本盤は見たことがないと思うので。

クリスピアン : 「Let's Get Together」(1961年に全米8位)じゃないか! (物珍しそうに眺めながら)そうそう、B面は「Cobbler Cobbler」というかわいらしい曲だった(笑)

- お母さんが2021年に出した自伝「Forever Young: A Memoir」は、あなたが書くように励ましたそうですね。

クリスピアン : うん、母の子役時代を振り返った感じの本なんだ。なんとニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーリストに選ばれてさ、うれしかったよ。母は今ちょうど映画「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」の舞台版に主演していて、英国内を回っているところさ。元気にしてるよ!

- クーラ・シェイカーにオリジナルメンバーのジェイが復帰したことは、うれしい驚きでした。どのようにしてバンドに戻ってくることになったのか、経緯を教えてもらえますか?

ジェイ : 僕は冷凍されていたんだ。ハン・ソロさ(笑) 彼らが連絡をくれたので参加することにした。いたってシンプルだよ。

クリスピアン : こういう運命だったんだ。僕らそれぞれが変わったけれど、ジェイと一緒に演奏してみると、途中にブランクがあったとは信じられないほどしっくりきた。すぐに昔の感覚を取り戻せたよ。

- 去年の夏の時点で「もう次のアルバムを作り始めている」という話でしたが、それにもジェイは参加しているのでしょうか?

ジェイ : ノー いや違う、イエスだ(笑)

- それは良いニュースです。ニュー・アルバムの作業はどの辺まで進んでいますか?

クリスピアン : もう4曲録ったよ。去年から曲を書き始めて、レコーディングは年末にスタートした。多分9月にはリリースできるんじゃないかな。全英ツアーから新曲を試しに演ってるんだ。

- 昨年カバーしたジョン・レノンの「Gimme Some Truth」は今回のセットリストにも組み込まれていますね。この曲を取り上げようと思ったのは何故ですか?

クリスピアン : タイムレスな歌詞だと感じた。今人々が感じていることとも通じる内容だと思うな。「Gimme Some Truth」はビートルズの「All You Need Is Love」と同じ種類の感情を抱えた曲だと思う……何故なら、真実抜きで愛は成り立たないし、愛のない真実もまた成り立たないから。心を開いて人々と接することが必要なんだ。自宅で子供たちにこの曲を歌って聞かせたときに、レコーディングしてみようと思い立ったんだよ。

- だからクーラ・シェイカーの「Gimme Some Truth」は、穏やかに語りかけるような歌い方になったんですかね。ジョン・レノンのオリジナル・バージョンは怒りを吐き出すような歌い方でした。

クリスピアン : そうかも。僕はレノンのオリジナル・バージョンが大好きで、確かにあの曲には怒りが詰まっている……英語で言うところの“rant”(わめく)という表現がふさわしいほどに。あの時期の彼はアメリカに対して激怒していたからね。それと同じように、今人々は世の中に偽善がまん延しているのを感じて、いら立っていると思うんだ。政府やメディア、あらゆるところにね。それは“愛と真実”の対極にある……愛は正直であることを求められるものだから。


- 1月は全英ツアーをみっちり回りましたが、手応えはどうでした?

アロンザ : とてもいい感じだよ! ジェイが戻ってすぐ人前に立って演奏したことで、バンドの結束力も高まったと思う。

クリスピアン : 僕らはデビューしてから短期間で大会場でのコンサートにジャンプアップしてしまったんで、今回のようなクラブギグ中心のツアーは最初期のバンドを思い出させてくれる。ステージに立っていると、過去のさまざまな場面がフラッシュバックするよ。

ジェイ : 大昔のスリッパを見つけて、はいてみたら心地よかった、という感じ(笑)

アロンザ : そいつは臭いそうだ。なんせ20年ものだから(笑)

- 昨年のサマーソニック出演は日本のファンにとってうれしい出来事でした。あのフェスは楽しめましたか?

クリスピアン : 大阪会場は暑さとの闘いだった。僕らが外国から来たからそう感じるのかなと思ったけど、楽屋では日本人の若いバンドも皆とろけそうな顔でぐったりしていたから、こっちの人たちがそうなら仕方ないなと思ったよ。会場でカサビアンのサージと会ったんだけど、彼が全身にぴったりフィットする衣装を着ているのを見て、「グッドラック!」と思った(笑)

アロンザ : あいつ、汗びっしょりだったよな。

クリスピアン : 衣装の裾から汗がしたたり落ちてたよ(笑)

- ライブでは milet との共演も話題になりましたが、あのときの印象はどうでした?

クリスピアン : 素晴らしかったね。オーディエンスの反応も良くて、こういうフェスの雰囲気っていいなと思った。ただ、僕らのステージはかなり大きい音量でサウンドを作っていて、普段の彼女のステージとは全然違うと思うんだ。だから彼女が登場するとき、ノイズの壁に直面して一瞬動揺したのか、フリーズしたように見えた。「これってマジ?」って顔をしてたな(笑) でも、いざ出てくると、彼女は見事にやり切って立派だったよ。事前にメールでアレンジなどの打ち合わせはしてあったから、スムーズに本番に臨めた。

クリスピアン・ミルズ

- ちなみに、若手のミュージシャンで仲が良い人たちは誰かいますか?

クリスピアン : 息子たち(笑) アロンザはベルギーの若いバンドをプロデュースしているよ。

アロンザ : うん、ザ・スタンフォーズという、ブリティッシュ・ロックに強い影響を受けたバンドなんだ。彼らはまだ20代だけど、ビートルズやガレージ・ロック、ザ・ジャムにも影響されている。

- ジェイは数多くのセッションをこなしてきたので、若いミュージシャンの友達も多いのでは?

ジェイ : うーん 仲が良い若手は自分の子供かな(笑)

- 今では3人とも父親なわけですが、子供ができてから自分の中でどんな変化がありましたか?

クリスピアン : 子供たちを見ていると、まるで鏡を見ているようだね。良いところも悪いところも、不思議に自分と似てきてしまって。

アロンザ : 本当に鏡を見ているみたいだ。子供たちが何かやらかして叱るときは、「俺と同じようなことをするんじゃない!」と言うことが多いよ(笑)

クリスピアン : ジェイの息子と会うのは今回が久々だったんだけど、いつの間にか父親そっくりになっててさ。髪型から何からまるっきりジェイそのものなんで驚いたよ。

- しかもお子さんたちは、それぞれ音楽をやっているそうですね。特にそういう道をすすめた訳でもなく、自然とそうなったんでしょうか?

クリスピアン : 避けられなかったと思う。皆、音楽に囲まれて育ってきたからね。僕も父の後を追うつもりはなかったけれど、映画の世界を横目で見ながら育ったから、気がつくと自分でも映画を作るようになっていた。環境が及ぼす影響は大きいよ。

アロンザ : うちの子たちは今どきのエレクトロニックな曲も聴くけど、自分が聴くようなタイプのロックも聴いている。こっちから無理強いして古い音楽を聴かせていたら、反抗して聴かなかったかもしれないな。クリスピアンの子たちは音楽の趣味がいいよね。

クリスピアン : うちの子たちはホームスクールで殻に閉じ込められているから、ラジオもYouTubeも聴けないんだよ。それに友達もいない(笑)

- お子さんたちから何かアドバイスされたりもしますか?

クリスピアン : それはないな。ただ、お互いに聴かせ合ったりはしている。家族が最初のオーディエンスになってくれる、という点では参考になるね。僕らが2ndアルバム「Peasants, Pigs & Astronauts」(1999年)をレコーディングしたときは、プロデューサーのボブ・エズリンと殻の中に閉じこもって、その世界にだけ集中して作り上げた。良いアルバムができたけれど、完成する前にオーディエンスがどう感じるか想像して、また違う選択肢を考えてみてもよかったと今は思う。他の人の視点、というのは大事だよ。

- ちなみに、最近は主にどんな曲を好んで聴いてるんでしょう?

ジェイ : ツアー中はプレイするのに忙しくて、無音を好んで聴いているかな(笑) 相変わらず、昔から同じものを聴いている気がする。ビートルズ、ストーンズ、その他もろもろ。

アロンザ : ツアーの移動中は、ドラマーのポール(・ウィンターハート)が選んだ曲をよく聴いていて、アフロビートをたっぷり聴いたよ。クレイジーで刺激的な音楽だね。

クリスピアン : うちの子供たちが作ったプレイリストを見てみると、大部分はオールドスクールなんだ。80s、70s、60sがメインで、彼らはリアルタイムの音楽に興味を持っていない。音楽が持つ危険さやエッジがどこかで失われてしまったと感じるから、ヒップホップにせよロックにせよカントリーにせよ、彼らは自然と古いものを選んで聴くみたいだ。飛行機の中で見かけた若い女の子はスマートフォンで聴いている音楽の80%ぐらいが古い音楽だった。テレビやなんかで気に入った曲をShazamで調べて、似たような曲でプレイリストを作る……という行動がループしてるんだろう。そうやって若い子たちがフリートウッド・マックやブラック・サバスなんかを見つけてどんどん聴いてくれるのは結構なことだし、ぶっちゃけ僕らのようなバンドにとって良いことだけれど(笑) これって音楽産業が新人開発、人材育成を怠ってきたひとつの結果なわけで、代償は大きいよね。そんなことがいつまでも続くわけはなくて、そろそろ音楽はもう一度大きな爆発を起こすんじゃないかな。旧来の音楽産業はすっかり死んでしまったけど、また新しい爆発が起こるタイミングなんじゃないかと最近は感じてるよ。インターネットやコミュニティを通じて、結構すぐに……多分今年、何かが起きそうな気がする。

- 状況は90年代の音楽シーンとは全然違うけれど、クーラ・シェイカーがデビューしたときも、既存のシーンをひっくり返してやる、という気概を感じました。

クリスピアン : 他のバンドと僕らが大きく違っていたのは、多くのバンドがバーチャルな感覚でロックをやっていたことだ。僕らがデビューしたとき、スピリチュアルなバンドであるという姿勢を打ち出したら、最初はジョークだと思われて面白がられた。そして僕らが真剣にそういうバンドであるとわかったら、人々は途端にめちゃくちゃ怒り始めた(笑) バーチャルなロックの世界、決まりごと...そういうものとは異質だったから。スピリチュアルであることは僕らにとってとても重要で、音楽を聴くことでハッピーになれるし、それによって何かが自分にもたらされ、魂を自由にすることができる。自由な魂...それこそが、今人々が求めていることだと思うし、さっき言ったように音楽がもう一度爆発するのではと予感していることにも繋がってくる。

- 何度も来ている日本ですが、この国での想い出や、接した人々とのエピソードがあったら聞かせてください。

クリスピアン : 大昔のことだけど、ツアーで東京に来たとき、かなり疲れ果てていてね。ちょっと公園に行って、タバコでも喫ってのんびり休みたいと思ったので、レコード会社の人にそう言ったんだ。彼らはピカピカと輝く寺院に連れて行ってくれたんだけど、芝生に入って休もうとしたらそこは立ち入り禁止で、寝転ぶこともできなくて(笑) あれはおかしかったな。日本はホームのように思っている。ファンの人たちとも長年にわたって密な関係を持ち続けてこれたと感じているよ。ヨーロッパや他の国とも違う、特別な関係を築くことができたと実感しているし、ここでプレイできるのは僕らにとって本当に意味があることなんだ。

1st Congregational Church Of Eternal Love And Free Hugs - クーラ・シェイカー

Thanks! Rolling Stone Japan

日本ゴールドディスク大賞 ビートルズ、邦洋最多8回目受賞
第37回日本ゴールドディスク大賞 アーティスト・オブ・ザ・イヤー

10日、日本レコード協会が 第37回日本ゴールドディスク大賞 の受賞作品・アーティストを発表した。昨年1年間でCD、音楽ビデオ、有料音楽配信などの売上金額の合計が最も多かったアーティストに贈られる「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」洋楽部門はビートルズが2年連続8回目の受賞。邦楽部門をあわせても過去最多受賞の快挙となった。レコ協によると、対象期間内(2022年1月1日~12月31日)におけるビートルズの正味売上実績(総出荷数から返品数を差し引いた売上枚数)はアルバム5万9169枚、シングル521枚、音楽ビデオ1305枚、音楽配信は4万2014ダウンロード。リボルバー(スペシャル・エディション) でアルバム・オブ・ザ・イヤー(洋楽)、ベスト3アルバム(洋楽)も受賞し、1970年4月10日に事実上の解散をして53年が経ってなお、根強い人気を誇っている。第37回日本ゴールドディスク大賞 主な受賞者・作品は以下のとおり。

アーティスト・オブ・ザ・イヤー
邦楽 Snow Man (2年連続2回目)
洋楽 ザ・ビートルズ (2年連続8回目)

ベスト・エイジアン・アーティスト
BTS

ベスト・演歌/歌謡曲・アーティスト
氷川きよし

ニュー・アーティスト・オブ・ザ・イヤー
邦楽 OCHA NORMA
洋楽 スー・ルイチー(Sury Su)
アジア IVE

アルバム・オブ・ザ・イヤー
邦楽 Snow Labo. S2 (Snow Man)
洋楽 リボルバー(スペシャル・エディション) (ザ・ビートルズ)

アジア SEVENTEEN JAPAN 1ST EP「DREAM」 (SEVENTEEN)

ベスト3アルバム
洋楽
ラヴ・サックス (Avril Lavigne)
リボルバー(スペシャル・エディション) (ザ・ビートルズ)

ミッドナイツ (テイラー・スウィフト)

アルバム・オブ・ザ・イヤー
邦楽 Snow Labo. S2 (Snow Man)
洋楽 リボルバー(スペシャル・エディション) (ザ・ビートルズ)

アジア SEVENTEEN JAPAN 1ST EP「DREAM」 (SEVENTEEN)

シングル・オブ・ザ・イヤー
ツキヨミ/彩り (King & Prince)

ミュージック・ビデオ・オブ・ザ・イヤー
邦楽 Snow Man LIVE TOUR 2021 Mania (Snow Man)
洋楽 リックト・ライヴ・イン・NYC (ザ・ローリング・ストーンズ)
アジア BTS 2021 MUSTER SOWOOZOO (BTS)

ソング・オブ・ザ・イヤー・バイ・ダウンロード
邦楽 ミックスナッツ (Official髭男dism)
洋楽 Hold My Hand (レディー・ガガ)
アジア Yet To Come(The Most Beautiful Moment) (BTS)

ソング・オブ・ザ・イヤー・バイ・ストリーミング
邦楽 ミックスナッツ (Official髭男dism)
洋楽 Left and Right(feat. Jung Kook of BTS) (Charlie Puth)
アジア WA DA DA (Kep1er)

特別賞
Ado
桑田佳祐
松任谷由実
吉田拓郎

『リボルバー』スペシャル・エディション

日本ゴールドディスク大賞
日本レコード協会が1987年に制定し、以降毎年、当該年度のレコード産業の発展に大きく貢献したアーティストおよび作品を顕彰するもの。選考基準は「CD、音楽ビデオ等の正味売上実績(総出荷数から返品数を差し引いたもの)と音楽配信の売上実績、ストリーミング再生実績」。第37回 日本ゴールドディスク大賞は2022年1月1日~12月31日の売上実績に基づき各賞を授与した。

Thanks! 日本レコード協会

ビートルズはハリーポッター? この人たち誰か分かる?

娘にビートルズの写真を見せて「この人たち誰か分かる?」と聞いたら、思わぬ答えが返ってきた! そんな動画が YouTube に投稿され、記事執筆時点で2万9000回再生を超えています。米国に暮らすある家族は、この日ランチにピザを食べに出かけていました。お店の壁には時代を感じる写真が多数はられています。その中にあったのはビートルズ。一定の世代以上であれば誰もがその名を知っている世界的アーティストですが、母がためしに「この人たち誰か分かる?」と娘に聞いてみると、写真をじっと見つめた娘は「あの人たち?」と指をさします。その表情からは「皆目見当がつかないよ」という彼女の気持ちが伝わってきそう。ちょっと困ったように眉をひそめた娘から出た答えは「ハリーポッター?」という予想外のものでした。まさかの答えに母親は「ハハハ!」と笑い声をあげました。ビートルズが全く分からないジェネレーション・ギャップについ笑ってしまう答えですが、確かにビートルズもハリーポッターを演じたダニエル・ラドクリフも同じ英国出身。両者の共通点を一目で見極めた娘に感心してしまいます。動画には「彼女は彼らが英国人だって分かったんだ!」「彼女の答えは合ってる。今や全ての英国人がハリーポッターだよ(笑)」「確かに、彼らはホグワーツの魔法使いみたいだ」「すごく惜しい!」などのコメントが寄せられています。

Thanks! ねとらぼ

音楽プロデューサーの川原伸司が語る(後編) ビートルズからヒントを得た「ペッパー警部」
ペッパー警部、Sergeant Pepper - ピンク・レディー

歌って踊るミーとケイ。ピンク・レディーが華々しく世に登場したのは1976年のこと。あっという間に人々の心をつかみ、テレビの前で踊りをまねる子供たちが続出するブームを巻き起こした。そんな彼女たちのデビュー曲が「ペッパー警部」だった。「ペッパー警部」がビートルズから着想を得て書かれたことをご存じだろうか? その誕生秘話を、敏腕で知られる音楽プロデューサーの川原伸司さんが2月25日に東京・高円寺の「音楽酒場ティーンビート」で行われたトークイベントで明らかにした。

ピンク・レディーとなる2人は静岡出身で、オーディション番組「スター誕生!」を経てデビューする。「スター誕生!」の会議には阿久悠さん、都倉俊一さんら、そうそうたるメンバーが一堂に会していた。そんな折、川原さんはある時、阿久さんから呼ばれて、ビクターの2階にあった喫茶店に行った。すると阿久さんは「アイドルの歌詞は書きたくない」と川原さんに言ったという。ピンク・レディーのデビュー曲のことだった。川原さんは「ネタはビートルズしかない」と思ったという。そして阿久さんに言った。「ビートルズは自分たちがビートルズであることにうんざりして、「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」という架空のバンドに扮したことがあるのですよ」。阿久さんは「ふーん」と答えたのみ。それでその日の2人の会話は終わった。阿久さんから詞が上がってきたのを見てみると、曲名は「ペッパー警部」。「Sergeant」とは警官を意味することもあり、これは「Sergeant Pepper」からとってきたのは明らかだった。「大先生が小僧の言うことを聞いてくれたのです。阿久さんもビートルズのことを聞いて、何か“未来”を感じてくれたのかもしれません」と川原さんは言う。後に「ペッパー警部」の英語版が奈良橋陽子さんの手によって作られた。英語版のタイトルは「Sergeant Pepper」。B面が「Wanted」だった。このピンク・レディーが英語で歌うバージョンのレコードはスイスやオランダなどで発売された。ピンク・レディーが米国進出をもくろみ、地元テレビでショーをやった時にバックを務めていたのが歌舞伎のようなメイクで知られるロック・バンド、キッスだったと川原さんは言う。「かっこよかった」。現在、その映像の4Kリマスター・バージョンがYouTubeに上がっているらしいので必見だ。

ピンク・レディーのあと、ガールズ・バンド「少年ナイフ」の米国進出も手掛けた川原さん。グランジ・ロックを代表する「ニルヴァーナの前座でツアーを行い、アメリカで売れました。今でも少年ナイフのプロデューサーかって言われるくらいです。カート・コバーンは少年ナイフを高く評価し、トリビュートアルバムを作ったぐらいでした」。川原さんは松田聖子の楽曲をいくつか手掛けたことでも有名だ。始まりは大瀧詠一さんからの電話だった。「大瀧さんから聖子さんの「風立ちぬ」のB面を書いてくれって電話があったのです。夕方の4時ごろに会社に電話がかかってきて言われました。もう会社にいる場合じゃないってことで、すぐに帰って、曲作りを始めました。明け方に出来上がり、大瀧さんはずっと待っているからと言ってくれていたので、すぐに電話で聞かせると、大瀧さんは”大船(おおぶね)、大船(おおぶね)“って言ったことを覚えています。大瀧さんらしい言い方でした。それが「Romance」という曲です」。当時、アメリカン・ポップスに偏重していたので、川原さんはイギリスにも優れた作曲家がいるので何らかのオマージュをしたいと考えていた。そこで思いついたのが、イギリスのバート・バカラックといわれていたトニー・ハッチ。大瀧さんはさすがに博学で彼のことを知っていた。川原さんはトニー・ハッチが作った、ペトゥラ・クラークという女性歌手の「マイ・ラヴ」という曲のイントロをそのままオマージュとして使った。「風立ちぬ」と両A面扱いだった「Romance」はヒットチャートの首位に。川原さんにとって、作曲家デビュー作で「1位を獲らせてもらいました」。

川原さんは筒美京平さんのマネジャーを5年ほど務めたこともある。レベッカのNOKKOのことを京平さんは高く評価していたものの「ロックの人って難しいね」と話していたのだという。京平さんは常に「日本の音楽をどうやったら進化させられるか」ということばかりを考えていたという。小沢健二も高く評価していたが、京平さんの眼には「ヒット曲を作る気がないね」。確かに売れたのは「強い気持ち・強い愛」くらいだった。川原さんにいわせると、京平さんは外国文化を日本文化にどう取り入れたらいいかを最初からよく分かっていた。「日本流にどうアレンジして、どう取り入れるか。その意味で、カツ丼とオムライスのことをよくほめていました」。杉真理さんや竹内まりやさんの大学時代から面識があった川原さん。杉さんもまりやさんも慶応大学でバンドを組んでいた。「みんな熱心だった。でも特に印象的だったのは、彼らが人間関係をちゃんと作ろうとしていたこと。いい意味でのコネクションを作ろうとしていたところが彼らの偉いところです」。コネっていうと日本では悪いイメージがあるけれど、アメリカでは当たり前だと川原さんは強調する。ジュリアード音楽院ではサマースクールにプロのミュージシャンをゲストに呼ぶが、あるとき学生が「どうやってこの業界に入れたのですか?」とポール・サイモンに尋ねると返ってきた答えは「コネ」だったという。川原さんは言う。「思いつきとか本能とかそういうレベルでやれることでなく“コネ”ってそれだけ必死だということです。みんな生きることに必死。好きなことをやっていくには必死でないといけないってことです」。

話を松田聖子さんに戻そう。聖子さんが神田正輝さんと結婚してからカムバックするときにアルバムを1枚出そうということになった。その中で川原さんが作曲をする歌が「瑠璃色の地球」というタイトルになったので「自分のイメージとしては「イマジン」とか「ウィ・アー・ザ・ワールド」みたいな普遍性のある曲を書かなければと思って、頑張りました」。アルバムが売れなくなるからとシングルにはならなかったが、いまでも人気がある作品だ。川原さんは直感で聖子さんが妊娠していると気付いて、身体に負担をかけないようにという配慮から「曲のキーを半音落とした」と言う。聖子さんと神田さんの娘、沙也加さんは残念なことになってしまったが、沙也加さんは生前、「瑠璃色の地球」について次のように語っていた。「心が安らぎます。母の歌の中では一番好きです」。川原さんは感慨深そうに語った。現在、取り組んでいるのは山口百恵さんと三浦友和さんの長男、三浦祐太朗さんの作品だ。「今の制作者ってヒットシングルという考え方がない。シングル盤という存在が希薄になっていて、再生回数がヒットのバロメーター。でも(祐太朗さんのところの社長)は古いタイプなので「ヒットシングルを作ってくれ」と言っている」。そこで韓国の作曲家に頼んで、レコーディングが始まっているところだという。「両親のイメージをぶっ壊すくらいハチャメチャなくらいが面白いのだけれど、とにかく壁を壊すしかない。それには外国に持っていくしかないってことなのです」。

音楽酒場ティーンビート

Thanks! OVO/桑原亘之介


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音楽プロデューサーの川原伸司が語る(前編) ビートルズが教えてくれたこと
瀬戸口修、川原伸司

「グローバルな自由の感覚を教えてくれたのはビートルズでした」― そう語るのは敏腕プロデューサーとして知られ、筒美京平さん、大瀧詠一さん、阿久悠さんといったそうそうたる面々と交友を持ち、松田聖子さんの「瑠璃色の地球」や井上陽水さんの「少年時代」などの名曲を書いた川原伸司さんだ。「自由って何だろう? 普通に学校に行っていても分からない。親たちは自由でないものを学んできた。そこでやってきたのがビートルズ。“ああ、これが自由なんだ”って分かっちゃうと、もう止められない。自由を知ってしまったから、ぼくらも止められなかった」。川原さんは2月25日に東京・高円寺の「音楽酒場ティーンビート」で開かれたトークショーで自らの歩みを約2時間半にわたって語った。

川原さんはもともと音楽というよりは絵が好きだったのだという。「手塚治虫さんが好きでした。手塚さんの基本的な考え方とかアイデンティティーを踏襲して生きていこうと思ったのです。今では宗教っていうとネガティブに捉えられがちだけど、私はいってみれば手塚教(の信者)でした」。とはいえ音楽も聞いてきた。最初に買ったレコードはダニー飯田とパラダイス・キングの「悲しき六十才」。中東の楽曲に青島幸男さんが歌詞をつけ、坂本九さんがボーカルのシングル盤を「たぶん、(東京の)野方のレコード屋で買いました。1960年のことです。自分で初めておカネを出して買ったレコードでした。300円でした。レコードになったものってどこか権威的だけど、このレコードの最後に坂本九さんが東北弁でオチをつけている。それが権威的なところからわざと外しているということで、発想がすごく斬新だった。もちろんコメディー・レコードは出ていたけれど、あくまでも演芸ということだった。でも、時代がユーモアを求めていたのでしょう。しばらくして、植木等さんが歌う「スーダラ節」が出ました」と川原さん。小学校に入る前から家にテレビがあって、ステレオもあったという。「生活必需品より、そういうものを優先する家庭でした。エンターテインメント、芸能ごとに身近に触れられる環境だったのです」と川原さんは子ども時代を振り返った。当時見ていたテレビの音楽番組といえば、日曜日の昼から日本テレビで放送されていた「森永スパーク・ショー」。ただツイストを踊っているだけの番組だったと川原さん。同様に、レコードを流して若い娘たちが踊っているだけの、土曜日の午後に放送されていたフジテレビの「ビートポップス」。大橋巨泉さんが司会で、たまに珍しくビートルズのプロモーション・ビデオを流したりもしていたが、基本は洋楽のベスト10を紹介する番組だった。ゴーゴーを踊っている女の子たちの中には小山ルミさんや杉本エマさんがいたという。川原さんは打ち明け話として語った。「エマさんと巨泉さんがつきあっていたって最近知りました。でも、50年以上も前のゴシップを聞いてどうするんだって話ですね(笑)」。

川原さんは洋楽に関しては映画音楽が好きだった。当時の娯楽といえば映画で、「毎週末に家族で映画館をはしごしました。だから、聞いていたのはだいたい映画音楽。ニーノ・ロータの「太陽がいっぱい」とか。そういう暗い曲が大好き。住んでいた野方から高円寺の白木屋に買い物に行くと、そこでは、いつも「太陽がいっぱい」が流れていたのです。この曲を聞くと、高架になる前の高円寺を思い出します」。「エデンの東」が10年間ずっと1位だったとかいわれるぐらい、映画音楽のチャートの順位はほとんど変化がなかった。そこに突然入ってきたのが、ビートルズの「ア・ハード・デイズ・ナイト」だった。川原さんは映画「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」を1965年、中学2年生の年の8月、松竹セントラルに観に行った。驚きだったという。「スクリーンに向かって女の子が叫んでいるし、よじ登っているとか、とんでもないところに来てしまったと思いました。入れ替え制ではなかったので、朝の10時から夜の7時までずっといるのです。映画はモノクロでニュース映画を見ているようで、またヌーベルバーグ的手法で撮られたドキュメンタリーのようでもあり、すごく新鮮でした。私が共感したのは老人が若者に向かって「君たちのために戦争に行ったんだ」というと、それに対して「頼んでない」と答えたこと。アングリー・ヤング・マンというか、大人のルールに対することができる、このような映画がとても好きだった。この映画を見て自分の生き方が変わったのです。両親は銀行員だったけれど、自分は銀行員や公務員にはならないと決めていて、自由な気分で生きていこうとなりました。ビートルズが発信している新しい価値観の影響が大きかったのです」。

1966年のビートルズの日本武道館公演にも足を運んだ。最終日の7月2日だった。「生演奏を経験したことで“未来“を見ちゃった。価値としてビートルズはUFOなんです。映画「未知との遭遇」で最後に家族を捨ててUFOに乗っちゃう。映画「抱きしめたい」で最後にエド・サリバン・ショーを見て婚約指輪を捨てちゃう。そんなのが好きなのです」。川原さんの友人で偶然にも同じ日にビートルズの公演を見た田中章さんもトークショーで語った。「親父が名古屋から弟を新幹線で連れてきてくれて一緒に行きました。3階の最上階で見たのだけれど、弟とあとで話をすると同じ動作をしていたことがわかったのです。眼鏡を外して肉眼で見ていました、二人とも。「エド・サリバン・ショーなどで動くビートルズを見たことはあったけれど、武道館ではそこにビートルズがいる。それを肉眼で見る。そうすることによって(ビートルズも)自分の一部になったような気がしました」と田中さんは言った。さらには、武道館でビートルズの歌や演奏が聞こえたのかどうかという議論がよくあるが、川原さんに言わせると「ナンセンス」だという。「当時(1966年)の技術でもって、あの武道館の広い空間で、みんなに均等に聞いてもらうなんて、どだい無理な話。1階の正面は音が回ってしまって聞こえなかっただろう。その代わり、遠巻きに聞いていた我々は反響がないぶん、聞こえた。そもそもPA(拡声装置)が使われ出すのが1970年頃。情緒的に聞こえたとか聞こえなかったということでなく、PAのありなしが問題なのです」。そして、「ビートルズはいまだに古くなることがない」と川原さんは言う。「例えば、グループサウンズを今見ると、ファッションなどが古いけれど、ジョージ・ハリスン、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、この4人はそのまま現在にいたとしてもおかしくない若者。こういう風に年をとっていけばいいという、いわば“鋳型”なのです」。

Thanks! OVO/桑原亘之介



本、雑誌、ムック
3/30 地図でスッと頭に入るイギリス
4/10 名曲!ビートルズ~乃木坂46
5月 ディスカバー・ビートルズ THE BOOK
5/26 初盤道 究極のアナログレコード攻略ガイド オリジナル・ファーストプレスを求めて(仮)
6/13 ポール・マッカートニー 1964 Eyes of the Storm
夏 「タッグ・オブ・ウォー」図鑑(仮)
年内 ポール・マッカートニー国内盤シングルレコード大全(仮)
年内 マル・エヴァンス伝記本

TV , ラジオ
3/31 10:55~11:00 らじるの時間 NHK-FM
3/31 10:55~11:00 らじるの時間 NHKラジオ第1
3/31 14:25~14:30 らじるの時間 NHKラジオ第2
3/31 23:55~24:00 らじるの時間 NHK-FM
4/9 13:00 ディスカバー・ビートルズⅡ NHK-FM
4/14 10:00 ディスカバー・ビートルズⅡ NHK-FM

CD
3/31 ビートルズ 1964・US・ファースト・アタック
3/31 ウイングス Live In Melbourne
3/31 ポール・マッカートニー Live In The USA 1993
3/31 ゲイリー・ムーア スティル・ゴット・ザ・ブルーズ (ジョージ・ハリスン参加)
4/7 ジョージ・ハリスン Live Collection
4/19 ウイングス オン・ツアー・ウィズ・ア・リトル・ビット・オブ・ベネルックス 1973
4/21 イアン・ハンター Defiance Part 1 (リンゴ・スター参加)
4/21 NOW That's What I Call Massive Hits #1s (ポール・マッカートニー曲収録)
4/21 エミット・ローズ Emitt Rhodes Recordings 1969-1973
4/22 リンゴ・スター Stop and Smell The Roses
4/26 マイク・ヴァイオラ ポール・マッカーシー
4/28 ジョージ・マーティン ビートル・ガール 1964-1966
5/19 ラー・バンド Clouds Across The Moon – The Rah Band Story Vol.2
5/26 ポール・マッカートニー Live On Air / Radio Broadcast Recordings 1990 / 1993
秋 ドリー・パートン Rock Star (ポール・マッカートニー参加)
年内 ヨーコ・オノ ストーリー
年内 ヨーコ・オノ シーズン・オブ・グラス
年内 ヨーコ・オノ イッツ・オールライト
年内 ヨーコ・オノ スターピース
年内? ローリング・ストーンズ (ポール・マッカートニー、リンゴ・スター参加?)

グッズ
3/31まで ザ・ビートルズ「リボルバー」Tシャツ・プレゼント
8月 BE@RBRICK The Beatles "REVOLVER"

イベント
3/31まで The Beatles:Get Back to Let It Be 展
4/1 ビートルズのチカラ! 東京・中目黒
4/2 ビートルズのチカラ! 東京・中目黒
4/7~9 レコードフェスタ大阪
4/8 13:00 アラウンド・ザ・ビートルズ2023 いま改めてビートルズの魅力を再検証
4/9 14:00 「プリーズ・プリーズ・ミー」発売60周年記念 ~デビュー前後のビートルズ~
4/15 14:00 AUTOMOBILE COUNCIL 2023 60年代はクルマと音楽の黄金時代~ブレッド&バター
4/15 16:00 AUTOMOBILE COUNCIL 2023 立川直樹 選曲 (ビートルズ他)
4/21 19:00 MUSIC LIFE ザ・ビートルズ リボルバー エディション 出版記念 ロック落語会
4/22 レコード・ストア・デイ Record Store Day 2023
4/23 14:00 NHKカルチャー ザ・ビートルズのアルバムデビュー60周年 語り尽くしの「THE BEATLES」
4/23 14:30 ビートルズを楽しむ
4/23 BACKBEAT プレビュー公演
4/28~5/3 BACKBEAT 兵庫公演
5/6~7 BACKBEAT 熊本公演
5/13 13:00 アラウンド・ザ・ビートルズ2023 いま改めてビートルズの魅力を再検証
5/19 18:00 MUSIC LIFE トークショウ in OSAKA
5/19~6/17 リンゴ・スター 北米ツアー
5/20~21 BACKBEAT 大阪公演
5/24~31 BACKBEAT 東京公演
5/28 Mojomo ビートルズデイ 2023
6/3 13:00 アラウンド・ザ・ビートルズ2023 いま改めてビートルズの魅力を再検証
6/7~16 藤本国彦と行くビートルズゆかりの地への旅 ロンドン・リバプール・ハンブルグ
6/10 12:00 ポール・マッカートニー研究会 梅の部対談 Vol.3 祝!赤盤・青盤発売50周年
6/11 12:00 ポール・マッカートニー研究会 梅の部対談 Vol.3 祝!赤盤・青盤発売50周年
6/24 ウクライナ支援コンサート (ポール・マッカートニー出演?)
6/28~10/1 Paul McCartney Photographs 1963–64 Eyes of the Storm
夏 Fender Flagship Tokyo

アナログ盤
4/7 イースト・オブ・エデン Snafu (ジェフ・ブリットン参加)
4/14 マイク・ヴァイオラ Paul McCarthy
4/21 イアン・ハンター Defiance Part 1 (リンゴ・スター参加)
4/22 ウイングス Red Rose Speedway 50周年記念限定盤
4/22 ジョン・レノン Gimme Some Truth 10インチEPボックス
4/22 リンゴ・スター Stop and Smell The Roses
4/22 エディー・マネー The Covers (ビートルズ曲収録)
年内 ヨーコ・オノ ストーリー
年内 ヨーコ・オノ シーズン・オブ・グラス
年内 ヨーコ・オノ イッツ・オールライト
年内 ヨーコ・オノ スターピース

映画
4/11 Little Richard:I Am Everything (ポール・マッカートニー出演)
4/16 19:00 トークイベント付き上映 ジョン・レノン ~音楽で世界を変えた男の真実~
4/21 Little Richard:I Am Everything (ポール・マッカートニー出演)
4/30 10:20 トークイベント付き上映 ジョン・レノン ~音楽で世界を変えた男の真実~
4/30 13:00 トークイベント付き上映 ゲット・バック
年内? Man on the Run
年内? Daytime Revolution (ジョン・レノン&オノ・ヨーコ出演)

Web配信
4/21 Little Richard:I Am Everything (ポール・マッカートニー出演)

4K Ultra HD , Blu-ray , DVD
4/26 ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド DVD