つれづれなるままにWINGSFAN
Tribute Vlog for Paul McCartney & Wings
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ポール・マッカートニー&ウイングス
のトリビュート LIVE フェスティバル
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ます。このブログは私が日常生活
の中で興味を持ったことやウイン
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情報などを毎日掲載しています。 

wingsfan@wingsfan.net


高田文夫が思い返す1966年ビートルズ来日
ビートルズ

放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の立川藤志楼として高座にもあがる高田文夫が週刊ポストで連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は生体験したビートルズ来日、走るアベベ、古今亭志ん生についてつづる。

私はマスコミの人間として、放送人として、作家として誇れる事がみっつある。私のこの大きな目で、生であのビートルズを、そしてアベベ(東京五輪)を、その上、古今亭志ん生を見たと自信を持って言える事だ。何でも見たがるおっちょこちょいを絵に描いた様な人生だが、生体験をしているか、してないかで、このマスコミ人生、大変な差が出る。そこで1966年日本にやってきたビートルズ。その武道館公演を追ったドキュメントが『ミスタームーンライト』。ビートルズを呼んだ人、さわぐマスコミ、反対する右翼、チケットを作る人、テレビにする人、前座で歌う内田裕也、尾藤イサオ...いろんな人の想いが語られる(私にとって戦後一番大きな文化的ニュースだと思う)。衝撃、熱狂。高3の私は父に「武道館見たら受験勉強始めるから1枚だけ取って下さい」と哀願した。父は出版社を経営していたのでツテで1枚すぐ取ってくれた。父の力を見直した。ビートルズ、それは、ミスタームーンライト。月明かりのように私の人生を照らしてくれる、あの瞬間を体感して下さい。日本にいたもうひとりのビートルズと言われるのが(言われる訳がない)、超・天才「マイブーム」のみうらじゅん。みうらが東北を旅していたら田舎のおばちゃんが声をかけてきた。「ジョン・レノンさんですよネ?」。みうらは「ア...ハイ」と言った。これは本当。ラジオに来てもらって「今年ブームになるものは?」と問うと「3位マドロス、2位オヒョウ」。みうらは寿司屋へ入ると「エンガワ」を頼むが待てよ。あんな小さなヒラメなのに何でこんなに出まわるのか。調べてみたらオヒョウという巨大な魚。うまいからいいやと食べている。そして「1位はコロナの間ずっと描いていた仏画などが100枚を超えた。コロナ画です」。この物凄い量の絵などを展示する「みうらじゅんFES マイブームの全貌展」が4月15日から5月7日、所沢市民文化センターで開かれる。もうひとりのビートルズも圧巻です。守備範囲の広さをみせてビートルズから和ものの浪曲まで。講談で神田伯山、浪曲で玉川奈々福が古い芸能を新しく聞かせて若い人にも人気。「奈々福、独演。」が2月11日(祝)18:00、12日(日)13:00。場所をきいておどろいた。銀座・観世能楽堂(GINZA SIX B3F)。能の舞台に浪曲が。もっとおどろいたのは12日のトークゲストがこの私だという事だ。もし、よろしかったら浪曲でも...

Thanks! 週刊ポスト

1966年ビートルズ日本武道館公演の前座(上)
ビートルズ

1966(昭和41)年、ビートルズは最初にして最後となる日本公演のために来日した。人気絶頂だったビートルズの日本武道館でのライブを、他の誰も経験できない「特等席」で、楽しんだ人物が2人いる。尾藤イサオさんと内田裕也さんだ。尾藤さんと裕也さんはともにビートルズ日本公演の前座を務めた。尾藤さんは証言する。「裕也さんと2人でステージの下でビートルズを見たんだ。日本のアーティストだと分かったのだろう、ジョージ・ハリスンがぼくらを見て、手を振ってくれた。日本側の出演者はみんな列を作って順番を待って、出番が終わったら楽屋に帰らなければいけない時に、裕也さんと2人でステージの前に行って、5回のうち4回はそこで見た。もう1回は、東芝の招待でスタンドから見た」と尾藤さんはいう。尾藤さんと裕也さんはジャッキー吉川とブルー・コメッツとブルージーンズをバックに、まず「ウェルカム・ビートルズ」を2人で歌った。これはビートルズを歓迎するためにと裕也さんがアイデアを出して、安井かずみさんが詞を書き、ブルー・コメッツの井上忠夫(後の井上大輔)さんが作曲したオリジナル作品だ。ビートルズ来日の「一週間前に案が出て、曲ができた。だから、歌詞をあまり覚えていなかった」と尾藤さんは振り返った。「それまで大規模会場だと思っていた日劇のキャパシティーが3000人、武道館が1万人と3倍だった。「ウェルカム・ビートルズ」で一人一人の名前を呼ぶと、「キャー」ってなって、思ったのは「1万人の声はすごい」なって」。裕也さんは、ザ・ビートルズ・クラブが2016年に行ったインタビューで「ウェルカム・ビートルズ」について、「あれ恥ずかしかったよな。なんか幼稚園みたいでさ。でも、あれは俺のアイデアなんだよ。ビートルズが来るのに何かコミュニケーションがないと。ただ前座で出ましただけなんて嫌だね、って俺が言ったんだ。それでブルー・コメッツの井上大ちゃんが曲を書いて、詞は半分くらい俺も書いた」と語った。

尾藤イサオ

尾藤さんは、ビートルズを「生で聞いたら、これがかっこいいんだな。出て来て、後ろ向いて、チューニングして、手を上げるだけで、客がキャーとなった。初めはおかっぱで、ボンボンで、不良的なカッコよさがないって思っていたのだけれど、すごいと思った」という。裕也さんは、「いや~感動したな。こんな音楽が実際にあったんだというね。まず、ステージに出てきて、4人がパッとそろった瞬間には感動したよね。ある種のエクスタシーを感じた。「うわ~本物だ」って圧倒されてね」と語っていた。「本当にうれしかったのは日本公演が「ロックン・ロール・ミュージック」からスタートしたこと。一生忘れないよ。ゾクゾクしてね。チャック・ベリーの曲だよ・・・まさかビートルズが日本公演の1曲目にこの曲やるなんてさ。ジョン(・レノン)はロックンロールに尊敬の念を抱いていたからね」と裕也さんは話した。尾藤さんは他に「ダイナマイト」を英語で歌った。「イギリスはクリフ・リチャード、アメリカはエルビス・プレスリー、フランスだったらジョニー・アリディと当時はいわれていた。(ビートルズは)英国なので(クリフ・リチャードを)選んだ」と尾藤さんは説明した。当時の尾藤さんのステージ衣装は、赤シャツに GジャンとGパンの上下で、髪型はプレスリーに憧れていただけにリーゼントで決めていた。一方、髪の毛を7・3分けにして、黒いスーツの上下に身を包んだ裕也さんは、アニマルズの「朝日のない街」を英語でパフォーマンスした。昼と夜の公演の間に裕也さんが「尾藤、俺たちもただ見てるんじゃなくて、日本のアーティストから記念品を渡すべきだ」って。「えっ、どういうことですか?」って言ったら、「何か買って渡そう」という話になったと尾藤さんはザ・ビートルズ・クラブに語った。「ぼくと裕也さんの2人で銀座のJUNに行って、Lサイズのストライプシャツを4枚買った。帰って、ビートルズのローディーに「プレゼントをしたい」と言うと、「カモン」と言う。彼らの楽屋に向かうと、楽屋の目の前で、協同企画の梅野っていうマネージャーが「警備をこれだけ厳重にしているのに、冗談じゃない」と間に入ってきた」と尾藤さんはいう。それで裕也さんと梅野さんが取っ組み合いになった。殴り合いにこそならなかったものの、結局、買ってきたシャツはローディーに渡した。裕也さんは「ビートルズの連中にはさァ、尾藤なんかといっしょにシャツをあげたんだけど・・・ヤツら、着てるかなァ」と言う。

悲しき願い - 尾藤イサオ

尾藤さんは苦労人だ。10才から16才まで、鏡味小鉄さんのもとに奉公に出た。尾藤さんは自らの芸を「ロカビリー曲芸」と称して、細いマンボズボンをはき、朝鮮動乱で亡くなった人のリーバイスなど、Gパンのダメージがあるものを進駐軍が上野・アメヤ横丁にて100円程度で売っており、それを買ってきて、着ていた。尾藤さんは「マック・ザ・ナイフ」の日本語カバー「匕首マッキー」で1964年にレコード・デビューした。歌唱力に定評があり、その前年には「第20回記念日劇ウエスタンカーニバル」でプレスリー賞を受賞した。再び64年に戻ると、アニマルズのカバー「悲しき願い」が大ヒットし、一躍トップスターの座に躍り出ていた。裕也さんは1957年、「ブルー・キャップス」というバンドを結成。その後、「ブルージーン・バップス」、「サンダーバード」などのグループを経て、「寺内タケシとブルージーンズ」にボーカリストとして参加した。ビートルズの日本公演時、演奏スタイルやギャラをめぐって裕也さんと「衝突」した寺内さんはブルージーンズを離れていた。「共演、共演って、俺はいっているけど・・・なぜ外人の前に、日本のバンドが出ると、前座といわれるのか? 冗談じゃねえ、こっちは、本気でロックンロールしてるんだぜ」と裕也さんは自伝「俺はロッキンローラー」で語っていた。でも同時に裕也さんは言う。「俺は、ビートルズと共演したことや、その前のベンチャーズと共演した事だけは、生まれてきた子どもに、誇りをもって話せることだと思うね」。裕也さんは、ビートルズがやって来たことで日本の音楽は大きく変わったという。「自分の人生、ロックンロール・ライフの中でも本当に重要な出来事だった。ビートルズの前座に出られたってことは超ラッキーだったし、因縁を感じた。まあ、一言で言うと「誇りと屈辱」だったよ。分かりやすく言うと、ビートルズを観て「おぉ~すげえな」っていう気持ちと、自分のやっていることとの差がね。ビートルズからは音楽だけじゃない、すごくカルチャー・ショックを受けたよね・・・ビートルズ以降、ある意味世界的なバンドは出てこない・・・早くビートルズを超えるような、カルチャー・ショックを与えるバンドが出てきてほしいよね」と裕也さんは話していた。尾藤さんはいう。「1955年くらいにプレスリーが出てきて、10年も経たないうちにビートルズが出てきた。ベトナム戦争があった時代に「LOVE」を歌ったというね・・・若い人たちが絶対必要とする何かがビートルズにはあったんでしょう・・・それが何かってのは分からないんですけど・・・(そして)今でこそコンサートに普通に使われていますが、日本武道館で最初に歌えたことは、言ってみればビートルズさまさまになるのかな」。尾藤さんと裕也さんは1964年に「ロック、サーフィン、ホット・ロッド」をリリースした。「ダイナマイト」が収録されていた。翌年にも2人は「レッツ・ゴー・モンキー」を発表。「悲しき願い」「朝日のあたる家」「キャラバン」といった曲とともに、2曲のビートルズのオリジナル曲「ヘルプ」と「アイム・ダウン」が収められていた。この2枚のアルバムは、グループ・サウンズ(GS)が生まれる前の「日本のロック」として日本戦後芸能史にさん然と輝く一里塚ともいえ、ビートルズとの共演につながっていく伏線ともなったのである。

ロック、サーフィン、ホット・ロッド

Thanks! OVO/桑原亘之介

わずか40秒だけ! ビートルズの前座で仲本工事が歌うことになったワケ
ビートルズ日本公演の前座務めるザ・ドリフターズ

18日の交通事故が原因で19日夜、81歳で生涯を閉じたザ・ドリフターズのメンバー・仲本工事は1966年、列島が沸いたビートルズ来日公演の前座を務めた。仲本は学習院大2年の1962年、訪れたジャズ喫茶で演奏していたバンドに飛び入り参加。そのバンドのドラマーが2歳年下の加藤茶だった。同大3年時、ジェリー藤尾の専属バンドの歌手オーディションに合格し、高木ブーと出会った。そして大学4年の1964年、当時人気バンドだったザ・ドリフターズから声がかかった。それから2年後、あのビートルズからオファーを受けたことについて、仲本さんは「最初にオファーを受けたときには「40分間やってくれ」という話で、かなりの数のネタを考えていた。でも、本番1週間前には持ち時間が20分になり、2~3日前には10分になった。さらに、前日になって「もっと短くしてくれ」。そして、当日になったら「40秒にしてくれ」となった」と語っていた。40分が40秒になるという衝撃的な展開にもドリフは〝応えて〟みせた。「40秒っていったら、やる曲なんて限られちゃう。ボクらのネタの中で唯一、その時間内に終われるのが「のっぽのサリー」という曲で、そのネタをやるときに歌うのがボクだったんだ。偶然に偶然が重なった結果〝ビートルズの前座で歌う〟という大役がボクに巡ってきたワケ」。会場の日本武道館のステージは階段の上り下りが大変で、実際に演奏したのは30秒ぐらいだったという。ちなみにビートルズと楽屋が別なのはもちろん、廊下の真ん中が幕で仕切られていてビートルズ専用の通路が設けられたぐらいだからすれ違いようもなかった。出番が終わって楽屋に戻った後も、ビートルズの演奏を堪能したわけでなく、ワーワーという歓声しか聞こえなかったという。あまりに何ごともなかったから「当日の思い出が残ってない(笑) 後年になってだよ。あっ、すごいことだったんだなって思ったのは」と振り返った。まったく顔を合わせることがなかったとはいえ、大きな〝勲章〟になったことは間違いない。


Thanks! 東スポWeb

ビートルズ日本公演の警備に1万1000人の警察官が動員された本当の理由
警視庁公安部外事課

日本の公安警察は米国のCIA(中央情報局)やFBI(連邦捜査局)のように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を十数年歩き、数年前に退職。昨年9月に 警視庁公安部外事課 を出版した勝丸円覚に、ビートルズ来日公演の警備について聞いた。1966年6月29日、ビートルズが来日した。先日、安倍晋三元首相の国葬が行われた日本武道館で30日夜、7月1日の昼夜、7月2日の昼夜の5公演が行われた。9月25日、当時、警視庁が警備の様子を撮影した幻の映像が公開されたのである。NPO法人情報公開市民センターが2015年に「歴史的映像」として警視庁に情報公開を請求。今年7月、DVDの映像が提供されていたという。

最終公演も収録
「警視庁時代、私はビートルズのこの映像を2回ほど見たことがあります」と語るのは勝丸。「私は巡査と巡査長の時、2回機動隊に配属されたのですが、その研修で、色々な教材を使いました。安保闘争で国会前でデモ隊と機動隊がぶつかるシーン、成田空港の三里塚闘争で丸太を持った過激派が機動隊に突っ込むシーンを見ました。それらと一緒にビートルズ公演の映像もありました。ビートルズの警備が国賓級だったため、警視庁の警備関係者はほとんど見ているくらい有名な映像です」。「ザ ビートルズ来日に伴う警備 警備課機動隊」と題する16ミリフィルムで撮影された映像は35分40秒のモノクロで、音声は無い。過激派が暴れる映像と一緒にビートルズの映像が研修に使用されているとは少々意外である。これまで公になっているビートルズ来日公演の映像はテレビ収録された30日夜と1日昼の2公演だけである。今回公開された映像には2日夜の最終公演も収録されている。演奏を終えたメンバーが舞台を降りたり、ハンカチを振るファンにメンバーが手を振って応えるシーンがとらえられていて、最終公演が盛り上がったことがわかる貴重な映像だという。「研修で見て驚いたのは、警備の多さです。映像を見るとわかりますが、会場内に制服警官がびっしり詰めているのです。普通のコンサートでは考えられない物々しい雰囲気でしたね」。実際、朝日新聞(1966年7月1日付)は《ザ・ビートルズの日本初公演は二千人近い警官隊の人ガキに囲まれて三十日夜六時半から東京・九段の日本武道館で行われた。娯楽の興行が、かつてこれほどの大がかりな警備で固められた例はないだろう。開演二時間前から会場周辺は、およそ音楽会には不似合いな警備車、投光車、救急車、パトカー、ジープで埋まった。「良識をもって静かに」「規則に違反すると逮捕します」》と報じている。朝日新聞は宿舎、公演会場、羽田空港などにのべ約1万1000人の制服・私服警官を動員したと報じた。ちなみに安倍元首相の国葬では約2万人の警察官が動員された。

おまわりさんはいいわね
作家の大佛次郎は朝日新聞(1966年7月4日夕刊)に「ビートルズを見た」というタイトルで、《司会者の開会のあいさつとともに、観客席の間にある階段と言う階段に警官がぞろぞろ降りて来て、通路をふさいだ。ドアをしめて人を入れない一階のホールでは、遠方から円陣を作って舞台を包囲して、おびただしい警官が壁を背に配置につく。私のうしろの高い席から、少女の声で叫ぶのが聞こえた。「おまわりさんはいいわね。前に出られるんだから」。こいつはいかにもそのとおりで、少女らしく無邪気で正直な声である。事故さえ起こらなければ、若い警官を慰安するビートルズの演奏となるだろう。》と寄稿している。「海外アーティストの来日でこんな大がかりな警備を行ったのは、後にも先にもこの時だけです。これだけの警備を配置するのは、天皇陛下の大喪の礼か安倍元首相の国葬、米国大統領が来日した時くらいでしょう。当時、武道の殿堂である武道館で公演をするというので、右翼団体の「亡国ビートルズ排撃」という横断幕をかけた街宣車が何台も武道館近くに来ていました。あれだけの警備を敷いたのは右翼対策と思われるかもしれませんが、実はその3年前に起きたケネディ大統領の暗殺事件が大きく影響しています」。ケネディ暗殺事件は世界に大きな衝撃を与えた。警視庁はビートルズのメンバーにもしものことがあれば国の威信にかかわると考えたようだ。「警視庁はロンドンの日本大使館に問い合わせて、ビートルズに関する情報を収集しています。彼らを脅迫したりする人物はいないか、英国の警察に調べてもらったのです」。さらに、警視庁公安部もかなりの捜査員を導入したという。「日本にいくつかあったビートルズのファンクラブを調べ上げました。幹部の中に怪しい者はいないかなど、念入りに調べたそうです」。ビートルズの日本でのスケジュールは分刻みで決められていた。「後にビートルズのメンバーであるリンゴ・スターが日本の警備について語っていました。分刻みで移動させられた、それが面白くなかったので、わざと決められた時間にホテルの部屋から出なかったこともあったと。当時のビートルズ・ファンの熱狂ぶりはすさまじいものがあったので、警視庁も絶対にトラブルを起こさないよう、細かく時間を区切ったのでしょう。最後に言わせていただくと、警視庁が今回公開した映像はモノクロで音声は入っていません。この点だけは残念です」。

勝丸円覚
1990年代半ばに警視庁に入庁。2000年代初めに公安に配属されてから公安・外事畑を歩む。数年間外国の日本大使館にも勤務した経験を持ち数年前に退職。現在はセキュリティコンサルタントとして国内外で活躍中。

Thanks! デイリー新潮

新海聡理事長が語る【幻の動画】ビートルズ来日画像情報公開の意義と今後
26日、新海聡理事長の解説入りダイジェスト版映像が全国市民オンブズマン連絡会議の公式 YouTube チャンネルで公開されました。


Thanks! 全国市民オンブズマン連絡会議



ミスタームーンライト ~1966 ザ・ビートルズ武道館公演 みんなで見た夢~

本、雑誌、ムック
2/7 ロッキング・オン 2023年3月号
2/15 MUSIC LIFE ザ・ビートルズ リボルバー・エディション
6/13 ポール・マッカートニー 1964 Eyes of the Storm
夏 「タッグ・オブ・ウォー」図鑑(仮)
年内 ポール・マッカートニー国内盤シングルレコード大全(仮)
年内 マル・エヴァンス伝記本

TV , ラジオ
2/8  5:30~ 6:00 美の壺 麗しの音色 レコード NHK Eテレ1
2/9 28:00~29:00 MUST BE UKTV (ジョン・レノン、ポール・マッカートニー参加) NHK BSP

CD
2/10 ブラッド・メルドー ユア・マザー・シュッド・ノウ
2/15 ビートルズ シングル・B-サイド・コレクション
3/24 ビートルズ 1964・US・ファースト・アタック
秋 ドリー・パートン Rock Star (ポール・マッカートニー参加)

アナログ盤
2/10 ブラッド・メルドー Your Mother Should Know: Brad Mehldau Plays The Beatles
4/21 イアン・ハンター Defiance Part 1 (リンゴ・スター参加)

イベント
2/11 13:00 アラウンド・ザ・ビートルズ2023 いま改めてビートルズの魅力を再検証
2/12まで アンディ・ウォーホル・キョウト
2/18 19:00 オノ・ヨーコさん90歳バースデイ・イベント
3/11 13:00 アラウンド・ザ・ビートルズ2023 いま改めてビートルズの魅力を再検証
3月まで The Beatles:Get Back to Let It Be 展
4/8 13:00 アラウンド・ザ・ビートルズ2023 いま改めてビートルズの魅力を再検証
4/22 レコード・ストア・デイ Record Store Day 2023
4/23 BACKBEAT プレビュー公演
4/28~5/3 BACKBEAT 兵庫公演
5/6~7 BACKBEAT 熊本公演
5/13 13:00 アラウンド・ザ・ビートルズ2023 いま改めてビートルズの魅力を再検証
5/19~6/17 リンゴ・スター 北米ツアー
5/20~21 BACKBEAT 大阪公演
5/24~31 BACKBEAT 東京公演
6/10 13:00 アラウンド・ザ・ビートルズ2023 いま改めてビートルズの魅力を再検証
6/28~10/1 Paul McCartney Photographs 1963–64 Eyes of the Storm

4K Ultra HD , Blu-ray , DVD
2/15 ジョン・レノン、ニューヨーク Blu-ray
2/15 ジョン・レノン、ニューヨーク DVD
2/15 ポール マッカートニー ゲット・バック Blu-ray
2/15 ポール マッカートニー ゲット・バック DVD

映画
2/25 19:00 ロックン・ロール・サーカス
2/26 19:00 ロックン・ロール・サーカス
3/18 未定 トークイベント付き上映 ジョン・レノン ~音楽で世界を変えた男の真実~

Web配信
3/3まで 朝日順子 × 藤本国彦 ビートルズはインドで何と出会ったのか?

グッズ
3/22 「プリーズ・プリーズ・ミー」発売60周年記念公式Tシャツ