プロフィール |
Author:wingsfan
ポール・マッカートニー&ウイングス のトリビュート LIVE フェスティバル WINGSFAN をプロデュースしてい ます。このブログは私が日常生活 の中で興味を持ったことやウイン グスや WINGSFAN などに関する 情報などを毎日掲載しています。
wingsfan@wingsfan.net
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面白話満載のポール・マッカートニー研究会トークイベント |
「ジェット」が「各駅停車」になってしまった!? どういうことだろうか? そう、ポール・マッカートニーの2002年の「ドライビング・USA・ツアー」がとてもカッコよかった理由を解くヒントなのだ。'75~'76年のポールの北米ツアーのライブ盤「Wings over America」の「ジェット」の演奏時間は4分7秒で、'89~'90年のポールの世界ツアーを収めたライブ盤「Tripping the Live Fantastic」での演奏時間は3分59秒だった。それに比べて、2002年春の米ラスベガス公演での演奏時間は3分57秒と短い、つまり速くなっていたのだ。演奏が速くなったぶん、「カッコよくなった」。これが2002年秋の東京ドーム公演になると、何と4分18秒だった。「遅くてあれはもう“ジェット”ではなくて“各駅停車”。昔は“ロックバンドのジェット“だったが、今はもはや“古典芸のジェット”ではないか」。そんな含蓄ある(!?)コメントが飛び出したのは ポール・マッカートニー研究会 がこのほど ROCK CAFÉ LOFT is your room で開催した「ドライビング・USA・ツアー」に焦点を当てたトークイベントの席上だ。「迷盤「Driving Rain」でのさまよい、リンダ、ジョージとの別れ、NYテロ、ヘザーとの再婚、還暦間近の激動の中で突如敢行された全米ツアーから20年。たっぷり映像とポマ研ならではの変態トークでこのツアーのカッコよさが何処にあったのか」(同イベントのフライヤー)を3時間超にわたって徹底検証した。トークショーのメイン報告者の一人、Nobuさんはいった。「これまでに90回以上、ポールのライブを見てきたが、この時のツアーは格別カッコよかったと思う」。ポールとバンドのこの時のツアーのカッコよさの秘密の一つが、演奏のスピードが速く、短くなったこと。その背景にはバンドに若い新メンバーを迎えたことがあるという。還暦を間近に控えたポールは若さが溢れるミュージシャンたちに刺激されたのだろう。新バンドのギタリスト、ラスティ・アンダーソンは「場末のバー」からチャンスを得て、一気に「ひのき舞台」に躍り出たので、張り切っていたのだろう。ドラマーのエイブ・ラボリエル・ジュニアは歌が上手く、ドラムも信じがたいほどにパワフル。力いっぱい叩くドラミングで、フロアタムを破ってしまったこともあった。ブライアン・レイもギターとして新たに参加した。リンダは'98年にこの世を去ってしまったが、ポール・“ウィックス”・ウィッケンズが引き続きキーボードを担当。
そして、もう一つの秘密とは、ポールが当時付き合っており、再婚することになるヘザー・ミルズの存在だったのではないか。ポールはヘザーに対して「いい格好」をしたかったことが、あれだけ「張り切った」理由だったのではないかとの指摘も飛び出した。2002年春のツアーでは、ヘザーは会場内のVIP席にいた。それが秋になると、最前列より前の柵の前に席が「格上げ」されていたという。ちなみに余談だが、2005年のツアーの時には、ヘザーの姿はもうなかったという。イベント会場では「そういうことだったのか」との声も上がった。ポールとヘザーは2002年に結婚したが、後に別居し、2008年に正式に離婚。ポールは、日本円にして約40億円の慰謝料を支払った。二人の間には娘が一人いる。この「ドライビング・USA・ツアー」は、2001年9月11日に全米同時多発テロが起こった後ということもあって、セキュリティーがとてつもなく厳しかったという。このツアーに参加するために米国遠征した兵庫県の角田さんによると、ライブ会場に入る時は、感度がとてもよい金属探知機をくぐらされるばかりか、そのうえ警棒のような探知機で上から股下も含めて、下までチェックされたという。このツアーは残された写真が少ないのも、カメラを持ち込めなかったからではないかとの推測が紹介された。しかし、「テロの後だったが、アメリカのほうが日本より元気だった。日本に帰り成田空港に降り立った時に、国力の違いをすごく感じた」とのコメントもあった。2002年4月1日に始まった19都市27公演の「ドライビング・USA・ツアー」は5月18日で終了。6月3日にバッキンガム宮殿でのエリザベス女王即位50周年記念コンサートで演奏。ポールとヘザーは6月11日に挙式を挙げ、その後、オフに入った。その時に秋の日本ツアーの交渉をしていたようだという。そして「ドライビング・ジャパン・ツアー」は同年11月11日の東京ドーム公演で幕を開け、13日、14日と同じく東京ドームでのコンサートが続いた後、17日、18日は大阪ドームでライブを行った。1993年以来、9年ぶりのポールの来日だった。当時、ポールはちょうど60歳。この後、ポールが再び日本の地を踏むのには、11年待たなければならなかった。
Thanks! OVO/桑原亘之介
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満員御礼 ポール・マッカートニー研究会 梅の部対談 人生棚卸シリーズ Vol.2 |
昨日(12/3)、東京・新宿 ROCK CAFE LOFT is your room で開催しましたトークイベント ポール・マッカートニー研究会 梅の部対談 人生棚卸シリーズ Vol.2 は盛況の中、無事終了しました。ご来場下さいました皆さま、ありがとうございました。出演者一同、御礼申し上げます。今回初めて制作したパンフレットも好評で、場内で35部全て Sold Out となりました。合わせて御礼申し上げます。「ジェット」「オール・マイ・ラヴィング」「キャント・バイ・ミー・ラヴ」の演奏時間の変遷(どんどん遅くなっていく傾向)、今とは全然違うチケット手配事情やツアー会場チェック、日本公演話が起きたタイミングなど、当事者のエピソードや証言 etc. をポールのLIVE&ニュース映像を交えながらお届けしましたがお楽しみ頂けましたでしょうか。私は「フロム・ア・ラヴァー・トゥ・ア・フレンド」「バニラ・スカイ」が年々沁みてくるようになったことや、バンドメンバーが若くてよく動くことにホールは良い刺激を受けたんだろうなぁ...などと思いながら映像を観ていました。個人的に2002年はいろいろあった年で、会社合併後の統合整理をしながら働きつつ、生後1年足らずの娘の育児をしながら、大学に通いながら、WINGSFANを立ち上げながら、地域活動に勤しみながら、ポールの日本公演を観に行くといった感じの年だったので、ずっと忙しかったという印象しか残っていないのですが、今回、音源を聴いたり、映像を観ながら割と当時の事を覚えているもんだなと思いました。(Nobuさん、角田さん、Thanks!&お疲れさまでした) イベントの打ち上げで来年(2023年)の計画についていろいろ打合せました。状況をみながら適宜発表して行きますので、どうぞお楽しみに。来年もポール・マッカートニー研究会をよろしくお願いいたします (^ ^)w
Welcome to ポール・マッカートニー研究会
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ポール・マッカートニー研究会 梅の部対談 Vol.2 12月3日開催 |
昨年末行ったジョージ・ハリスン&エリック・クラプトン伝説復活ツアーの棚卸企画に続き、第2弾は Driving USA。今年はリアルイベントで実施します。ポールがライブツアーに復活して20年。このツアーのカッコよさはポール史上トップクラス。たった27公演、カリフォルニアからから始まり、フロリダで終わる一瞬の風。その後、秋にジャパン・ツアーも開催され観られた方も多いと思います。このツアーの意義をNYテロ、迷盤 Driving Rain のリリース、ジョージの死、●嫁ヘザーとの再婚などを通して再確認しましょう。秘蔵映像と共に! (Nobu)
ポール・マッカートニー研究会 梅の部対談 人生棚卸シリーズ Vol.2 日時 12月3日(土) 11:00開場、12:00開演、15:30終演(予定) 会場 ROCK CAFE LOFT is your room (東京・新宿 JR新宿駅徒歩6分、西武新宿駅徒歩2分) 出演 Nobu、梅市椎策 料金 2500円(飲食代別) 予約 参加希望される方は、(1) 氏名、(2) 連絡先住所(郵便番号も)、(3) 電話番号、(4) 参加人数を記載し、こちら 又は、出演者経由にてお申込み下さい。24時間以内に返信致します。 ← Sold Out !
Welcome to Paul McCartney Academy Japan
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【完売御礼】 ポール・マッカートニー研究会 コールド・カッツ特集 6月11 & 12日開催 |
ポール・マッカートニー生誕80年祭り・第2弾 トークイベント「ポール・マッカートニー研究会 コールド・カッツ特集 -WINGS 1980-1981-」は両日(6/11、6/12)共、予約で全席完売となりました。かつてない速さでの完売にメンバー一同、驚きと感激と感謝が入り交じり、うれしさのあまり、パニクってます。そこで、研究会を代表して皆さまに御礼申し上げます。「これでオーディションに受かったかな?」(笑) ご予約ありがとうございました。トークイベントどうぞお楽しみに (^ ^)w
2022.3.29 梅市椎策
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