プロフィール |
Author:wingsfan
ポール・マッカートニー&ウイングス のトリビュート LIVE フェスティバル WINGSFAN をプロデュースしてい ます。このブログは私が日常生活 の中で興味を持ったことやウイン グスや WINGSFAN などに関する 情報などを毎日掲載しています。
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「アビイ・ロード」のジャケットについて、あなたが知らないかもしれない10の事柄 |
「アビイ・ロード」のアルバム・ジャケットについて英ラジオ局 Radio X が 10 things you didn’t know about The Beatles' Abbey Road album cover (「アビイ・ロード」のジャケットについて、あなたが知らないかもしれない10の事柄)と題した記事を掲載している。ここではその内の7つをご紹介する。
1. アビイ・ロードの正確な交差地点は? ビートルズのアルバム・ジャケットに登場する前、アビイ・ロードといえばローズ・クリケット・グラウンド(ロンドンにあるクリケット競技場)から目と鼻の先にある、ということしか取り柄はなかった。アビイ・ロードはロンドン北西部のセント・ジョンズ・ウッド界隈にあるグローブ・エンド通りの交差点に位置している。
2. アルバムは「アビイ・ロード」というタイトルではなかった? もともとアルバムは、サウンド・エンジニアのジェフ・エメリックが吸っていたタバコにちなみ「Everest」とするアイデアが浮上し、ヒマラヤ山脈の麓でカバー写真を撮影する案も挙がっていたそうだ。しかし、バンドはより簡単な計画に変更してスタジオの外で撮影し、「アビイ・ロード」と呼ばれることになったという。ちなみにビートルズのアルバムでジャケットにタイトルもバンド名も記載されていないのはこのアルバムだけである。
3. ジャケット用に撮影された写真は6枚だけ? 交通事情は50年前と異なるとはいえ、当時もアビイ・ロードは交通量が多かったため、写真家イアン・マクミランがジャケット用に撮影した写真は6枚のみだった。警察が交通を止め、その間に脚立に上ったマクミランが横断歩道を3往復するメンバーを撮影したそうだ。
4. ジャケットに小さく写っている人たちの正体は? ジャケット左側のスタジオの門の前に3人の男性の姿が見えるが、彼らは1969年8月8日、午前11時半ごろに休憩のため外にいたデコレーター(店舗のショーケースやショーウィンドウを装飾する人)だという。そして、その反対側でパトカーの傍に立っている男性はアメリカ人観光客で、たまたま横断歩道の方を見たらメンバーが通りを渡っていたそうだ。
5. ジャケットから当時噂された「ポール死亡説」、その原因は? 1969年の終わりに「実はポール死んでいて、「アビイ・ロード」のジャケットの彼は本人ではなく替え玉だ」との説が囁かれていた。その理由は、ポールだけ裸足で他のメンバーと区別されているほか、背後に写っているフォルクスワーゲンのビートルのナンバープレートが「28IF」で、その数字とアルファベットが「もし(IF)ポールが生きていれば28歳だった」と意味しているのではないか、と考えられたからだという。又、右車線に駐車されているパトカーが交通事故での死を象徴しているとの説も浮上し、さらにメンバー4人はジョージが墓掘り人でポールは死者、リンゴが信徒、そしてジョンは牧師で葬列を表しているのでないか、とも言われていたそうだ。
6. メンバー3人はブランド物のスーツを着用していた? ジョン、ポール、リンゴはウェールズ出身のデザイナー、トミー・ナッターのスーツを着用したそうで、ジョージだけ上下デニムのコーディネートで撮影に望んでいる。
7. (アビイ・ロードでの撮影は)ビートルズによる最後の写真撮影ではなかった? メンバー4人が揃ってスタジオに入ったのは「アビイ・ロード」が最後だったにもかかわらず、アルバム・ジャケット撮影はこれが最後ではなかったとのこと。1969年8月22日にバークシャー州アスコットにあるジョンの家で、メンバー4人の他にオノ・ヨーコとリンダ・マッカートニーも加わって撮影を行っており、その写真は後にコンピレーション・アルバム「ヘイ・ジュード」のカバーで使用された。
残る3つのトピックについては Radio X 公式サイト で確認できる。
Thanks! ロッキング・オン
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オール・アバウト・アビイ・ロード 最終回 その後のビートルズ |
1969年1月のほぼ1か月かけて行なわれた“ゲット・バック・セッション”は結果的に28時間分のテープと96時間分のフィルムが残された。その後、一向に「形」にならないまま「アビイ・ロード」の制作を優先させたビートルズだったが、「アビイ・ロード」発売後には、解散に向けての足音が徐々に聞こえてくるようになった。“ゲット・バック・セッション”をまとめた未発表アルバム「ゲット・バック」は紆余曲折を経て映画「レット・イット・ビー」と、そのサウンドトラック・アルバムとして制作される流れとなり、「アビイ・ロード」の作業真っただ中の7月20日にはラフなフィルム上映会がメンバー立会いのもとに行なわれた。こうして未発表アルバムを横目に見ながら、4人は「最後」を自覚して臨んだ新作「アビイ・ロード」の制作を続けてきたが、「アビイ・ロード」発売直前の9月20日、アラン・クラインを交えたビートルズと米キャピトル・レーベルとの再契約の場で、ジョンの脱退宣言が飛び出した。「ビートルズの今後についてポールが話すことすべてに「ノー、ノー、ノー」と言った。ポールが「どういう意味だい?」と聞くので、こう告げたんだ。「お前はアホだ。もうグループは終わりってことだ。俺は抜けるよ」って」(ジョン) アラン・クラインからの要請で、この事実はいっさい公表されなかったが、ジョンの言葉にショックを受けたポールはスコットランドの農場に引きこもってしまった。 「つらい時期だった。このままじゃ死んでしまうと思ったね。それで、“君らはクラインとやっていけばいい。僕はアップル・レーベルから抜けたい”と伝えた」(ポール) ジョンは脱退宣言をする1週間前の9月13日にトロントで開かれたロックンロール・リバイバル・ショーにプラスティック・オノ・バンドで出演した。ヨーコ、エリック・クラプトン、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイトとビートルズでもカバーした「マネー」「ディジー・ミス・リジー」の他に、7月にプラスティック・オノ・バンドのデビュー・シングルとして発表した「平和を我等に」や新曲「コールド・ターキー」などを披露したが、ジョンはビートルズ以外の、ヨーコを加えた流動的なバンドでやることに「未来」を見出したのかもしれない。こうして1970年1月3日、映画に収録されることになった「アイ・ミー・マイン」をレコーディングするために、ジョン脱退後の3人は、アビイ・ロード・スタジオに集まった。これが「ビートルズ」(俗に言うスリートルズ)としての最終レコーディングとなった。目的はもちろん、最後のオリジナル・アルバム「レット・イット・ビー」の完成のためにである。
Thanks! ユニバーサル ミュージック
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ジャイルズ・マーティンが語る「アビイ・ロード」2019ステレオ・ミックス制作秘話 |
ビートルズのアルバム「アビイ・ロード」がリリースされたのは1969年9月26日。これにちなみ、2019年9月27日、50周年を記念したアニバーサリーエディションが全世界一斉発売された。このアニバーサリーエディションにはさまざまなパッケージが用意されているが、その全てに共通するのは、隠しトラックである「ハー・マジェスティ」を含む全17曲(隠しトラック「ハー・マジェスティ」含む)にニュー・ミックスが行われていることだ。ニュー・ミックスがPCMステレオのハイレゾとして発売されるのは、一昨年の「サージェント・ペパーズ」、昨年の「ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)」に続き今回が3度目。今回の「アビイ・ロード」も「サージェント・ペパーズ」と同じチームでニュー・ミックスが行われている。ビートルズのプロデューサー、故ジョージ・マーティンの息子ジャイルズと、アビイ・ロード・スタジオのチーフ・ミキサー、サム・オケールの二人である。リミックスはリマスターと全く別物だ。ステレオ・ミックス済みのオリジナルマスターを使い、ノイズ除去やローエンドの整音などを行うのがリマスター。基本的に定位(楽器や歌手の位置)の置き換えや音質の変化(過度な低音ブーストなど)は行なわない。これに対して「リミックス」はオリジナルの8トラック・マルチマスターを使ってミックスダウンを行い、ステレオ用2chマスターを作るということになる。今回のプロジェクトでは、アウトテイクの23曲を含め、全40曲のミックスダウンが行われた。また「アビイ・ロード」オリジナル16曲は5.1chサラウンドとドルビーアトモスのためのミックスが続けられた。これだけでも途方もない作業であることが想像できる。「サージェント・ペパーズ」と並び、ビートルズの最高傑作と言う人も多い作品。リミックスのプロデューサーを務めたジャイルズ・マーティンは「2019ステレオ・ミックス」の作業をどう進めていったのか。またリミックスにどんな機材を使用したのか。先日行った電話インタビューでは、そうした詳細を含め丁寧に答えてくれた。ちなみに1969年当時、8トラック・マルチ・レコーダーで全曲を録音するのはビートルズにとって初めてのことだった。EMIスタジオの調整卓が真空管からソリッドステートに替わるという時代の変わり目にもあたったこの音源について、ジャイルズ自身がどう感じたかも述べてくれた。
― まず、ジャイルズ・マーティンさんが「2019ステレオ・ミックス」の作業で一番最初に走らせた8トラック・マルチはどの曲でしたか? 又、なぜその曲を選んだのでしょうか?
マーティン : さあ、どうだろう。そんな質問は誰からもされたことがなかったんだよね(笑) 確か「カム・トゥゲザー」だったと思う。僕たちの作業の手法は、ある一曲の作業を始めてみて、そこから今度は別の曲に移って少し手を加え、どうやったら正しい形になるか試行錯誤するというもの。正しい形で着地できるのだろうかと思ったりもする。うーん、確かアルバムの最初の曲から始めたね。それは、最初から始めるのがしっくりくると感じられたからだ。
― 他に何か特別な理由があってというより、アルバムの最初の曲だからというのが、その理由なのですね?
マーティン : そうだね。どこかから始めなくてはならないということは分かっているわけだから、最初からやってみるのが得策だということになった。そして、「カム・トゥゲザー」をやった後に、最後のメドレーをやったんだ。ほら、アルバムの最後に収録されているメドレーのことだ。というのも、個人的にそれをやるのをとても楽しみにしていたからなんだ。冒頭から始めて、最後に行き、その後、中間の部分を、という風にやったよ(笑)。
― 次にアウトテイクについてお伺いします。アウトテイクの中で最も印象深かった、または興味深かったトラックはなんですか? その理由も教えてください。
マーティン : 個人的には、例の会話があるという理由から「アイ・ウォント・ユー」だった。あれは奇妙なロックンロールの歌だと思うんだが、アウトテイクの中に、通りの誰かとの会話が入っている。実はあの曲は、アビイ・ロードではレコーディングしていないんだ。ロンドンのウェストエンドにあるトライデントという別のスタジオでやった。あれは確かエンジニアのグリン・ジョンズだったと思うけど、彼がジョン・レノンに、スタジオの外にいる人たちから騒音について苦情を言われていると告げる。すると彼は「こんな夜の遅い時間に、彼らは通りでいったい何をやっているんだ?」と言うんだが、「分からないけれど、音量を下げてくれないか」と頼まれる。するとビートルズは「よし分かった。それでは静かなバージョンをやろうじゃないか。ボリュームを落とすよ」と言う。それはある意味、微笑ましく、クールだと思うんだよね。だからあのアウトテイクは大好きだ。とても人間的だと感じるからね。
― 今回のリミックス、リマスタリングでは歴史的な機材を使って作業されたそうですが...
マーティン : もちろんそうしたんだけど、ビンテージだからというだけでそういう機材を使うわけではない。僕たちが使うのは、それが依然として素晴らしいものだからだ。現代のレコードにもこの機材を使っているんだけど、それは、それを使うと良いサウンドになるからなんだ。アビイ・ロード(スタジオ)は素晴らしいよ。こういう古い機材を、今でも全て保管しているんだからね。このようなスタジオの中では、最も多くの数の機材を保管していると思う。だから楽しいんだ。そう望めば、当時のビートルズとまったく同じ手法でミックス・セッションを構築することだってできる。もしくはとても近代的な方法でやることだって可能だ。だから、どちらが正しいやり方かを選ぶことができるというわけだ。というわけで、もちろん今回、古い機材も使ったよ。面白いもので、「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」でポールが歌っている箇所のボーカルを正しくやろうとした時、最終的に僕たちが使用したのは EMI REDD デスクと呼ばれる機材だった。これはかなり初期のビートルズのデスクだったんだが、とても良いサウンドで、ポールの歌声が引き立ったのでそれを使ったよ。
― なぜこれを伺ったのかと言いますと、当時 EMI のブリティッシュ・ビートのバンドは、中域のかっちりした音がファンの間でも人気だったということがありましたが、今回の「アビイ・ロード」のリミックスで EMI/The Beatles のサウンドを作り上げるのに、そのようなビンテージ機材が関係しているのではと考えたからです。それでは、一番活躍した機材についてはいかがでしょう?
マーティン : そうだね。それはふさわしいサウンドを模索するということ、つまりクラシックなビートルズ・サウンドを追求するということと...いや、正直なところ、ビートルズのクラシックなサウンドというのは、機材ではなく人間によって作られるものだ。まあ、それでも機材はその助けになるものではあるけどね。ジョン・レノンはどんなマイクを使って歌ったとしても、ジョン・レノンのサウンドになる。ただ、それでも君の言っていることは正しいとは思う。そういう機材を使うことができるということが、助けにはなる。レコードそのものが美しいわけだが、僕たちはそれをさらに美しいものにしていこうとしているので、同じ機材を使うというのはその助けになるものだ。
― 例えば Chandler Limited RS-124 のような機材が、そのようなサウンドを作る際に影響を与えたと思われますか?
マーティン : うーん、それは(現場に)あったね。ミックスした時にそれがあったのは確かだ。ただ、オリジナルほどレコードをコンプレスしないように気をつけたんだ。その必要はなかった。なぜならレコードの針がグルーヴから飛ぶといったことを気にする必要がなかったから。確か(アルバム)「ザ・ビートルズ」でだったと思うんだけど、不思議なことにデジタルっぽい音になってしまったので、それをよくオフにしていたよ。あれには驚かされたね(笑) 先程言ったことに戻ると、予めルールがあるわけではなく、やろうとすることのリストがあって、そのサウンドにふさわしいのは何かを考え、それを達成するということだけ。我々のもとにあったビンテージ機材というのは、全てツール。まるでレーシングカーとドライバーのような関係で、それぞれの作業にふさわしい機材を使うということに過ぎない。
― 1968年は、EMIがアビイ・ロード・スタジオのミキシング・コンソールを真空管のREDD.37コンソールやREDD.51コンソールから、ソリッドステート式のTGコンソールに変えた時期にあたります。オリジナルのマルチマスターの音の質感は「サージェント・ペパーズ」や「ザ・ビートルズ」と違っていたと感じましたか?
マーティン : そうだね。よりモダンなサウンドのレコードだ。その他が60年代のままだったのに対し、より70年代のサウンドのレコードだと僕には感じられる。それは君が言っていたように、コンソールによるところが大きく、真空管からトランジスタコンソールに変わったということもあるし、そしてまた8トラックテープに変わったということもある。それは「ザ・ビートルズ」から始まり、「アビイ・ロード」ではそれだけを使っている。うーん、だからそういうことはあるだろうね。それからまた、コンソールにあるいくつかのマイクのインプットによっても、ドラムのレコーディングがより複雑でモダンな形になった。だからコンソールそのものだけでなく、プラグインするマイクが変わったということもあったね。
― 今回リマスタリング、リミックスをされてみて、何か新たな発見はありましたか?
マーティン : そうだね。その答えは簡単なことで、僕にとってのハイライトはいつでも、ビートルズのメンバーに自分のミックスを聴かせるということなんだ。ポールとリンゴのためにプレーするということだよ。というのも、これは彼らの音楽だから、彼らに気に入ってもらえるということが、僕にとっては嬉しくもあり、恐れ多いと思うことでもある。彼ら自身がビートルズなんだ。レコーディングされた音楽の中で最も素晴らしい音楽を作った。自分にはそんな作業をやらせてもらえる価値はないと感じるけれど、その一方で彼らが満足してくれると、それが僕にとってのハイライトとなる。僕はこのプロジェクトに時間、情熱、愛を注いできたからね。
― ちなみに彼らからはどのようなフィードバックがありましたか?
マーティン : 素晴らしいことが起こったんだ。彼らが自分自身の楽曲を、また全体として聴くようになった。彼らがミックスを聴こうとするのではなく、全体として自分たちの楽曲を聴くようになったと知った瞬間、僕は自分の仕事は終わったと思ったよ。ポールは僕に「実は僕たちって良いバンドだったんだね?」と言った。僕は「そりゃそうさ」と言ったんだ(笑) それが嬉しかったね。面白いものなんだが、エキストラについてや、何が正しいと思うか、彼らが公表したいのはどれか、どれが公表するに値しないかということなどを話し合った。それについては、彼らははっきりとした考えを持っていた。我々が収録したマテリアルは、ファンにとっては求められるものだが、それらを公表したくないと感じているかもしれないという考えもある。お金儲けのためだけといった間違った理由で音楽をリリースしないように注意しなければならない。それはともかく、そんなフィードバックをもらったんだ。ミックスに関しては、彼らは大概とても寛容だ。僕は長年彼らと一緒にやってきた。彼らはとても寛容で、忍耐強いけど、それはおそらく僕のことを信頼してくれているからなんだろう。それは嬉しいことだよ。
― きっと長い時間をかけて、そんな信頼関係が築かれたのでしょうね。
マーティン : そう、その通りだ。
ビートルズ最後の作品となる「レット・イット・ビー」の英国での発売日は1970年5月8日。来年の2020年5月8日がアニバーサリー。今年と同じように「2020ステレオ・ミックス」はリリースされるのだろうか。プロデューサーはフィル・スペクターだし、ミックスが行われたのもEMIスタジオ(Abbey Road Studio)ではなくサヴィル・ロウにあったアップルスタジオ。「レット・イット・ビー・ネイキッド」と名付けられた公式リミックスもリリースされている。もし仮にリリースされるとして、またジャイルズとサム・オケールの二人は、リミックスの作業を引き受けるのだろうか。ジャイルズが昨年来日した際にインタビューをした時は「リミックスとリマスターについて、それぞれどう思うか」と質問したところ、「リマスターには関心がない。リミックスでなければやらないよ」と率直な答えが返ってきた。ビートルズのマスターをいじれる唯一の人物。今後についても、もちろん期待が高まるが、まずはハイレゾで今回発売された「アビイ・ロード」の「2019ステレオ・ミックス」をじっくり聴いて楽しみたい。
Thanks! Phile Web
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オール・アバウト・アビイ・ロード その8 「アビイ・ロード」が与えた影響 |
初期の「ハード・デイズ・ナイト」(64年)や中期の「リボルバー」(66年)をはじめ、ビートルズには名盤が数限りなくある。そうした中で、「アビイ・ロード」(69年)は“20世紀のロック”を代表する一枚として、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(67年)と並び評されることが多い。最後のスタジオ・レコーディング・アルバムであるというのも、大きな理由だろう。「アビイ・ロード」は、1969年9月26日にイギリスで発売されるとすぐさま大ヒットとなり、イギリスのアルバム・チャートでは17週連続で1位を記録した。アメリカでも10月1日に発売され、ビルボードのアルバム・チャートで11週連続で1位を獲得している。エンジニアのジェフ・エメリックとフィル・マクドナルドは、その年のグラミー賞の最優秀アルバム技術賞(クラシック以外)を受賞し、1995年には、「アビイ・ロード」は“歴史的な重要作や長年品質が保たれている作品”に送られるレコーディング・アカデミーのグラミー殿堂賞も受賞している。内容の良さは言うまでもないが、印象的なジャケットや、最後のスタジオ録音作であるということも、アルバムの評価や人気に拍車をかけている。売り上げに関しても、以前は最後のオリジナル・アルバム「レット・イット・ビー」(70年)のほうが人気が高かったが、とくに2009年にCDのデジタル・リマスター盤が出た後は、「アビイ・ロード」は2009年11月のビートルズの全世界での売上1位となった(2位は「サージェント・ペパーズ」)。また、ある調査によると、ビートルズのアメリカでのアルバム売上枚数は、1位が「ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)」(2300万枚)で、2位が「ザ・ビートルズ1967年~1970年(青盤)」(1700万枚)、「アビイ・ロード」は1600万で3位らしい(以下、4位は「サージェント・ペパーズ」と「ザ・ビートルズ1962年~1966年(赤盤)」が1500万枚で、「ザ・ビートルズ1」が1100万枚、「ラバー・ソウル」が1050万枚)。「アビイ・ロード」は、パロディ・ジャケットに関しても、ビートルズのアルバムの中で最上位となる人気だ。4人のハーフ・シャドウが斬新な「ウィズ・ザ・ビートルズ」(63年)と、手の込んだ「サージェント・ペパーズ」、それに「アビイ・ロード」が、最も数の多いビートルズのパロディ・ジャケットになるが、「アビイ・ロード」の人気の高さは、「真似しやすさ」にあるのかもしれない。ポールが「ポール・イズ・ライヴ」(93年)でセルフ・パロディ・ジャケットを自ら作ったぐらいだし、他にも、「アビイ・ロード」発売直後にジョージ・ベンソンがそのうちの10曲をカヴァーした「アビイ・ロード(The Other Side Of Abbey Road)」(69年)や、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの「アビイ・ロード E.P.」(88年)をはじめ、名高いパロジャケがたくさんある。サウンド的には8トラックの機材ですべてレコーディングされたビートルズ唯一のアルバムであり、B面のメドレーを含むロック・オペラ的な仕上がりは、70年代以降の組曲仕立てのアルバム作りや、管弦楽を取り入れたシンフォニック・ロック的サウンド作りにも大きな影響を与えた。また、アルバムの評価だけでなく、撮影されたスタジオは、「アビイ・ロード」の大ヒットの影響もあり、「EMIレコーディング・スタジオ」から「アビイ・ロード・スタジオ」へと改称された。ジャケットに登場するスタジオ前の横断歩道は、その後、現在に至るまで世界でも有数の観光地となった。2010年12月には、建物以外では初めてイギリスの文化的・歴史的遺産に指定された。ビートルズの4人が渡ってからちょうど50年目となる2019年8月8日、横断歩道前は3500人の人であふれかえり、インターネットだけでなく、日本も含めてテレビで報道されたり、新聞でも記事になったりと、変わらぬ人気ぶりを世界にアピールした。
Thanks! ユニバーサル ミュージック
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今夕の読売新聞 |

本日の読売新聞夕刊ポップスタイルはビートルズの「アビイ・ロード」特集!! 2ページ見開きの巨大紙面でお送りします。50周年記念リミックスのレポート、あの著名人が語るアビイ・ロード、などなど盛りだくさんです。
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