プロフィール |
Author:wingsfan
ポール・マッカートニー&ウイングス のトリビュート LIVE フェスティバル WINGSFAN をプロデュースしてい ます。このブログは私が日常生活 の中で興味を持ったことやウイン グスや WINGSFAN などに関する 情報などを毎日掲載しています。
wingsfan@wingsfan.net
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創業者の想いと共に前進するイッセイ ミヤケ 世界中の関係者への感謝の「イマジン」 |
9月30日(現地時間)、イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)は2年半ぶりにパリでファッションショー(2023年春夏パリコレ)を行った。8月5日に死去した創業デザイナーである三宅一生の想いと遺したDNAをしっかり引き継ぎ、デザイナーの近藤悟史率いるデザインチームが力強く、躍動感に溢れるショーを見せた。ショーの開始前には会場のスクリーンに三宅一生の写真とメッセージが映し出され、ジョン・レノンの名曲「イマジン」が流れた。これは1973年から50年近くパリでコレクションを発表し続けてきた三宅デザイン事務所から、パリの街やオートクチュール組合(通称サンディカ)、世界中の関係者への感謝の気持ちを表したものだったという。会場からは拍手がわき起こった。
Thanks! Vogue Japan
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デビューから60年、変わらぬビートルズ愛 仙台のファンに思いを聞いた |
ビートルズが初めてのレコード「ラヴ・ミー・ドゥ」でデビューしてから、5日で60年を迎えました。解散から50年以上がたつ今も、ビートルズの音楽は世界中の人を魅了しています。ファンはもちろん仙台にも。ビートルズ愛を語ってもらいました。
すげえなあ 青葉区でデザイン会社を経営する若山修は仙台を拠点に活動するビートルズのコピーバンド、ザ・ティーザーズでギターを担当している。若山がビートルズと出会ったのは小学6年。3歳上のいとこが買ってきたレコードで「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」を聞いたのがきっかけだった。「ワン・ツー・スリー・フォー!と叫ぶイントロに、ただ「すげえなあ」と引き込まれた」。当時住んでいた気仙沼市では最新のレコードはなかなか入手できず、仙台に出てきて買い求めることもあった。中学生の頃にクラシックギターを始め、高校でエレキに持ち替えた。国内では欧米のバンドに影響を受けたグループ・サウンズが大流行中。「いろいろな音楽に夢中になったが、中でもずっと好きだったのがビートルズだった」。高校卒業後に上京し、東京で過ごした5年間は忙しさからギターから離れていた。再び触り始めたのは仙台で仕事を始めた24歳の頃。その後、ビートルズのコピーバンドとして活動を続け、2004年には意気投合した3人とティーザーズを結成した。当初は月1、2回のライブを重ねた。「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」にも過去10回ほど出演。一番の思い出は18年、勾当台公園野外音楽堂でのステージだ。「ヘイ・ジュード」の曲に合わせ、観客は手を振って応えてくれた。今は市内外で開かれるライブやイベントに不定期で参加する。東日本大震災の被災者らでつくるコピーバンドが集い、全国の地震、水害被災地の復興を支援する「ビートルズのチカラ!」の公演で、故郷の気仙沼で歌ったこともあった。「ビートルズはいずれ廃れるだろう」と考えていた時期もあったという。「でも、節目節目でファンは必ず盛り上がる。4人の歴史は今後も続いていく」。自身も、仙台のコピーバンドでは最古参というティーザーズを「何年でも続けていきたい」と語る。
ビートルズをモチーフに 仙台市青葉区国分町の英国風音楽バー、ゴールデンスランバー。英リバプールにあるビートルズゆかりのライブハウス、キャバーン・クラブをほうふつとさせるれんが組みの内装は、マスターの酒井勝則こだわりのデザインだ。壁一面にアルバムジャケットの写真やギター、ベースが飾られ、絶えず流れるBGMはもちろんビートルズ。店名はお気に入りの曲から来ている。中学生の時に「イエスタデイ」ではまった酒井。ビートルズをモチーフにした店を持つことにあこがれていた。2019年12月、念願のオープンにこぎ着けた。店の奥にはステージがあり、不定期でライブが開かれる。「ビートルズのチカラ!」の会場にも選ばれた。酒井は、若山と同じティーザーズでベースを務めており、自らステージに立つこともある。店ではジャンルを問わず多彩なバンドがライブを開く。酒井の次の目標は「ビートルズの若手コピーバンドに来てもらうこと」という。「4人の音楽は、今でも古さを感じさせない。若い人にも触れてもらい、次の世代につなげていきたい」と意欲を見せる。
オリジナルでもコピーでも 仙台市泉区の会社員・木村由里子は小学生のころに出会って以来、熱狂的なビートルズファン。ポール・マッカートニーの来日公演には必ず足を運び、新型コロナウイルスの流行前は、「聖地巡礼」で海外にもよく飛び立っていた。コピーバンドだけを集めたイベントがよく開催されるのも、ビートルズの魅力の一つという。「オリジナルでもコピーでも、ビートルズの曲が流れていれば、シャワーのようにずっと浴びていたい」と少し照れた様子で話す。
多くのミュージシャンに影響を与え、60年の時を経てもなお世界で歌い継がれるビートルズ。これからも世界の音楽を彩り続けていくだろう。
ビートルズのチカラ! 2011年7月の仙台での初回公演を皮切りに東北や関東、九州で計22回開催。バンドメンバーが震災の記憶や東北の現状を語ったり、被災地の写真を展示したりしている。収益は義援金として災害被災地に送り、これまでに約300万円を寄付した。
Thanks! 河北新報
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ビートルズはお金を稼ぐ技術も一流だった! 世界で稼ぐ「最強チーム」のつくり方を紐解く |
ビートルズの関連書籍は数あれど、元国税調査官という肩書きを持つ著者が「お金」という観点から彼らのあり方に焦点を当てているという点において、お金の流れで読み解く ビートルズの栄光と挫折 は異色の一冊であるといえそうです。ポップ・ミュージックの歴史に大きな足跡を残したこのバンドに、他を圧倒するような優れた音楽性やアイドル性があったことは事実。しかし、もう一つ、彼らは優れた「ビジネス・スキル」を備えてもいたのだと著者は言うのです。
ビートルズは博打性の強かった音楽業界で「売れるため」「売れ続けるため」に様々な音楽ビジネスのスキルを開発した。それは、当時の音楽市場に大変革をもたらし、現在の音楽市場の礎となっている。例えば、ファン・クラブ制度やミュージック・ビデオによるプロモーション、公式マガジンの発行などを最初におこなったのは、実はビートルズである。ビートルズのライブチケットは、アルバムと同じ程度の金額に抑えて青少年たちにも買えるようにし、それがティーンエイジャーの人気を爆発させた。さらに当時は、シングルレコードの売上が収益の中心だったが、ビートルズはアルバムの商品価値を高め、アルバムで収益を稼ぎ出すことに成功した。また、革ジャンにリーゼントというバリバリの不良少年だった彼らが、デビューするときにはスーツにマッシュルーム・カットという洗練されたスタイルになっており、高等なイメージ戦略も使っていたのだ。(「まえがき」より)
もちろんこれらは戦略の一部にすぎませんが、いずれにしてもこういった“ビートルズのビジネス・スキル”は、現代のビジネスにおいても学ぶべき点が多いということ。したがって彼らの成功と失敗は、そのまま貴重な「ビジネスへの教訓」となっているというわけです。そうしたことを踏まえ、「彼らの足跡を、ビジネス的な観点で眺め、現代のビジネスに生かしていきたい」という趣旨のもとに書かれたのが本書。きょうはそのなかから第2章「前例なき世界で稼ぐ『最強チーム』のつくり方」に注目してみたいと思います。
ビートルズの「すごいチーム力」 著者はビートルズが売れた要因のひとつとして「チーム力」を挙げています。ビートルズは各人が優れたミュージシャンであっただけでなく、チームとしての力もまたすごかったということ。そして、その実力は他のバンドやミュージシャンを圧倒するものだったわけです。
ビートルズは素晴らしい演奏能力を持っていた。しかも彼らは、自分たちで曲もつくっていた。それだけでも売れる要素は十分にある。が、ビートルズはそれにプラスアルファの要素があった。ビートルズはジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターという個性的なメンバーで構成されており、それぞれが非常にいい味を醸し出していた。その個性的なメンバーたちが、演奏時には見事に一体になって、素晴らしい音楽を奏でるのだ。(42ページより)
フロントマンであるジョンとポールが目立ちがちではあったものの、ジョージとリンゴも決して隅に追いやられていたわけではなく、随所で印象的な働きをしていました。そればかりか、ときには主役になり、バンドの違う側面を見せてくれたりしたことも。そういう意味で、ビートルズはビジネス的にみても最強のチームだったと著者は指摘しているのです。そしてもうひとつ注目すべき点は、最強のメンバーを集めてバンドをつくり、コンセプトを定めたジョンの功績です。
ビートルズは、そのチームワークのよさと、個々のポテンシャルを最大限に生かし切ったチームとしての戦略によって、大きな成功をつかんだのである。(43ページより)
ジョンには「気分屋で皮肉屋」という側面もあったため、一般的な“優れたリーダー”とは違ってもいました。しかしビートルズでの立ち居振る舞いを客観的に見ると、非常にメンバーのことを気遣い、仕事をしやすい環境を整えてきたことがわかると著者はいいます。(42ページより)
「バンド単位」でスターになる史上初の戦略 冒頭でも触れたとおり、ミュージック・ビデオ、ファン・クラブ、世界ツアーなど、ポップ・ミュージックの歴史のなかで「ビートルズが始めておこなったもの」「ビートルズが広めたもの」は少なくありません。しかし、それらのなかには、いまや当たり前のものとして普通に存在しすぎているため、「ビートルズが広めた」ということが忘れられているものもあります。
たとえば、そもそもの「ロックバンド」という概念である。現在、世界中に何千、何万というロックバンドがある。ボーカル、ギター、ベース、ドラムなどの固定したメンバーが、それぞれ個性を出し合って、一つの音楽をつくりあげる。それがロックの醍醐味であり、ロック・ミュージシャンを目指す場合、まずバンドをつくることから始める人が多い。このロックバンドという概念は、じつはビートルズと、アメリカのビーチ・ボーイズが世間に広めたものなのだ。(62ページより)
ビートルズ以前のロック・スターといえば、エルヴィス・プレスリー、リトル・リチャード、チャック・ベリーなどソロ・ミュージシャンが中心。テンプテーションズやミラクルズなどグループ単位で活躍している人たちもいたものの、彼らはバンドというよりはむしろコーラス・グループでした。また、ロック・バンドのモデルケースをつくったバディ・ホリー&ザ・クリケッツも、中心人物であるバディ・ホリーをミュージシャンとして支えるような構成。バンド全体が主体ということではなかったわけです。
「バンド単位でスターになる」という概念は、今では当たり前すぎることだが、最初は簡単なものではなかった。まず前例がない。当時はミュージシャンを目指す若者たちも、バンドでデビューというより、ソロでデビューするほうがイメージしやすかった。レコード会社に売り込みするときも、バンドでのデビューは難しかった。レコード会社としても、バンドでデビューさせるより、いいソロ歌手を探そうとするからだ。そもそも当時は「バンド単位でスターになろう」という発想自体が、普通はなかなか出てこないだろう。(63ページより)
ところがジョンには、ソロでデビューしようとした形跡がまったくないのです。つまりは当初からバンド志向だったということで、時代の状況を鑑みると、それがいかに斬新な発想であったかがわかるはず。「前例」にとらわれない姿勢を持っていたわけで、その精神性は現代のビジネスにも充分応用できるものであるといえます。(61ページより)
ビートルマニアのみならずとも、気軽に読み進められるところが本書の魅力。この週末、お気に入りのビートルズ・ナンバーを聴きながらページをめくってみたら、彼らについての興味深いトピックを見つけることができるかもしれません。
お金の流れで読み解く ビートルズの栄光と挫折 / 大村大次郎 9月10日発売 今に通じる音楽ビジネスの原型はビートルズが作った。お金の面でも洗練されていたビートルズの意外な一面。「好きなことで大儲けしたい」はビートルズが最初だった!? ビートルズが成功した原因は、その優れた音楽性とアイドル性によるものと言われています。しかし、彼らにはもう一つ優れた部分がありました。それが現在にも通じる「稼ぐ技術」です。博打性の高い音楽業界で「売れるため」「売れ続けるため」に、彼らは、さまざまな音楽ビジネスのスキルを開発しました。それらは当時の音楽市場に大変革をもたらし、現在の礎となっています。例えば、ファンクラブ制度やミュージックビデオによるプロモーション、公式マガジンの発行などを最初におこなったのは、じつはビートルズです。一方で、肝心のライブチケットは、アルバムと同程度の金額に抑え、青少年にも買えるようにしました。それがティーンエイジャーの人気を爆発させたのです。また、当時はシングルレコードの売り上げが収益の中心でしたが、ビートルズはアルバムの商品価値を高め、アルバムで収益を稼ぎ出すことに成功しました。音楽業界は今も一発屋が多くミュージシャンを消耗しがちですが、この戦略をとったことで、ビートルズは腰を据えて名曲を作り、派手に収益を上げることができたのです。その一方で、ビートルズは先駆者ゆえの失敗もあります。たとえば、彼らは曲の版権を早く譲り渡してしまったために、天文学的な印税の大半を受け取ることができませんでした。また、イギリスの高い税金を逃れるために作った会社は、経理の専門家がいなかったために、胡散臭い連中に食い物にされてしまいます。彼らの多大な成功と貴重な失敗は、そのまま「現代への教訓」となっています。ビートルズファンはもちろん、好きなことで稼ぎたいという方や、夢を持って日々を過ごしている方にとっても、「学び」となることが沢山あります。ドキュメンタリー作品「ザ・ビートルズ:Get Back」が流行っている昨今、ぜひ手に取って、彼らの名曲を聴きながら紐解いてみてください。
第1章 「好きなことで稼げ」はビートルズに学べ 第2章 前例なき世界で稼ぐ「最強チーム」のつくり方 第3章 市場ごと巨大化させた「マネージメントの極意」 第4章 売れ続ける「ビジネス戦略」をどう築いたのか? 第5章 音楽業界の常識を打ち破った「収益化の革命」 第6章 世界制覇とブリティッシュ・インベンション 第7章 所得税95%! ビートルズを苦しめた税金問題 第8章 「意外な解散理由」急で巨額な収益は分裂しやすい
ページ 248ページ サイズ 18.8 × 12.7 × 1.6 cm ISBN 978-4798067650
大村大次郎 元国税調査官。国税局に10年間、主に法人税担当調査官として勤務。退職後、ビジネス関連を中心としたフリーライターとなる。単行本執筆、雑誌寄稿、ラジオ出演、「マルサ!!」「ナサケの女」の監修等で活躍している。ベストセラーとなった「あらゆる領収書は経費で落とせる」をはじめ、税金・会計関連の著書多数。歴史関連での主な著書に「信長の経済戦略」「家康の経営戦略」「龍馬のマネー戦略」「お金の流れでわかる世界の歴史」「お金の流れで読む日本の歴史」など。学生のころよりお金や経済の歴史を研究し、別ペンネームでこれまでに30冊を超える著作を発表している。
Thanks! Lifehacker Japan
関連Blog 8/17のBlog 本 お金の流れで読み解く ビートルズの栄光と挫折 9月10日発売
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映画 ロックンロール・ハイスクール 上映劇場情報 |
ポール・マッカートニー&ウイングスの幻の名曲「Did We Meet Somewhere Before?」が挿入歌として使われている映画 ロックンロール・ハイスクール の上映劇場情報は以下のとおりです。
東京都 シネマート新宿 03-5369-2831 9/23(金)~ アップリンク吉祥寺 0422-66-5042 10/14(金)~
神奈川県 横浜シネマリン 045-341-3180 11/26(土)~
愛知県 名古屋シネマテーク 052-733-3959 10/23(日)、25(火)、27(木)、29(土)、31(月)、11/2(水)、11/4(土)
石川県 シネモンド 076-220-5007 日程調整中
京都府 アップリンク京都 075-600-7890 10/14(金)~
大阪府 シネマート心斎橋 06-6282-0815 9/16(金)~9/29(木)
兵庫県 Cinema KOBE 078-531-6607 10/15(土)~10/21(金)
広島県 八丁座 082-546-1158 日程調整中
福岡県 KBCシネマ 092-751-4268 日程調整中
ロックンロール・ハイスクール 原題 Rock ‘N’ Roll High School 監督 アラン・アーカッシュ 製作 マイケル・フィネル 製作総指揮 ロジャー・コーマン 原案 アラン・アーカッシュ、ジョー・ダンテ 脚本 ジョセフ・マクブライド 撮影 ディーン・カンディ 出演 P・J・ソールズ、ヴィンセント・ヴァン・パタン、メアリー・ウォロノフ、ポール・バーテル、クリント・ハワード、ディック・ミラー、デイ・ヤング、ラモーンズ 時間 93分 制作 1979年 米国 配給 ビーズインターナショナル
ヴィンス・ロンバルディ高校でロック全面禁止を掲げる女校長ミス・トーガーは校内のダメ男2人を手下に、ロック系レコードを燃やして生徒を取り締まる。ロックが大好きなリフ・ランデルは執拗な妨害にめげず、音楽の課題でラモーンズのために〈ロックンロール・ハイスクール〉を作詞し、ライブ会場でプレゼントすることに成功。曲を受け取ったジョーイ・ラモーンは大喜びし、ラモーンズはミス・トーガーをやっつけるため高校へ乗り込んでいく。
Thanks! キングレコード
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