つれづれなるままにWINGSFAN
Tribute Vlog for Paul McCartney & Wings
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ポール・マッカートニー&ウイングス
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wingsfan@wingsfan.net


日本武道館がアイドルの聖地になった理由 山口百恵とビートルズが転機
日本武道館

今やアイドルたちにとって「日本武道館」は聖地であり、ライブ開催の目標とされてきた場所だ。しかし、そもそもアイドルはなぜ武道館を目指すようになったのか。カルチャー研究に詳しい関西大学文学部教授の森貴史に話をお伺いし、その理由を紐解いていく。

ビートルズ、山口百恵が変えた「武道館」の意義
10月から放送開始されたTVドラマ「推しが武道館いってくれたら死ぬ」は岡山県で活動するマイナー地下アイドル ChamJam のメンバー・市井舞菜に人生を捧げるオタク・えりぴよの熱狂ぶりを描くドルオタコメディ。なかでも、原作に登場する「いつか舞菜が武道館のステージに立ってくれたなら死んでもいい!」というえりぴよのセリフは本作を象徴するセリフだ。と同時に、アイドルと武道館の深い関係を端的に言い表している言葉とも受け取ることができる。アイドルファンにとって推しが武道館の舞台に立つことは、大変誇らしい出来事なのだ。ただ、武道館という場所は、本来芸能とは縁がない場所であったと森は語る。「武道館は文字通り武道の稽古場、競技場として設計された建物であり、日本武道の聖地でした。そのため、非常に保守的な風土が強く、芸能とは程遠い場所だったんです。しかし、1966年に英ロックバンド・ビートルズが武道館でライブ公演を行ったことにより状況は一変。彼らの公演は一部の保守層から反発されたものの、日本の芸能界に与えた影響は絶大で、当時の保守的な流れを打ち砕き、カウンターカルチャー、ポップカルチャー的なものを開くパワーがありました。しかも、それが武道館という厳正な空間で行われたことだったので、若者は時代の変化をより感じ取ることができたんです。以降、閉塞的な時代からの変化の象徴として、武道館はアイドルを含むアーティストから芸能の聖地として憧れるようになったのだと考えられます」。ロックバンド・爆風スランプの楽曲「大きな玉ねぎの下で」の制作秘話は武道館とアーティストの関係を象徴する話として印象的だ。武道館の上部にある正八角形の大屋根・擬宝珠のことを「玉ねぎ」と名付けたこの曲は、メンバーのひとり・サンプラザ中野が武道館初のライブにプレッシャーを感じて作ったという。爆風スランプにとって、武道館がどれだけ存在感の大きな場所であったかがうかがえる。このようにそもそも武道館は、アイドルのみならず、音楽そのものの聖地としてみなされる場所だということがわかる。では、なぜアイドルにとって武道館が特別な場所へと変化したのか。それはあるアイドルのコンサートがきっかけだったと森は力説する。「そのアイドルとは山口百恵です。彼女の引退コンサートは、アイドルと武道館の関係性を特別にした印象的な出来事でした。当時の山口百恵は絶大な人気を誇っていたまさにトップアイドル。その彼女がキャリア絶頂期の1980年に21歳の若さで結婚&引退会見をしたことは、本当に衝撃的だったんです。そして、10月5日に武道館でファイナルコンサートを行い引退。大人気アイドルがたくさんのファンに見守られ武道館でその活動に終わりを告げたことは、後続のアイドルたちにとって武道館を特別な場所へと印象付けた、大きな事件だったのではないかと思います」。

立地、建物の構造を見ても他とは一線を画す
アイドルにとっても武道館が特別な場所だという印象になったことはわかったが、森いわく「その立地にも注目すべき」とのこと。「私はハロー!プロジェクト(ハロプロ)メインで遠征に出かけておりまして(笑)、さまざまなライブ会場を訪れましたが、やはり武道館は特殊な場所にあると感じますね。第一に東京のど真ん中の立地である北の丸公園内にあるので、存在自体が非常にシンボリックです。そして、入場する際には江戸城の遺跡を通る必要があるため、歴史と伝統の場に足を踏み入れるという通過儀礼的な側面もあるかと。「推し武道」の原作漫画でも ChamJam のメンバーが武道館(ただし、実際に訪れたのは東京武道館)を訪れて感慨にふけっていましたが、岡山出身の彼女たちのような地方アイドルからすると地理的、知名度的、歴史的にやはり目標であり憧れの場所となっているんでしょう」。さらに森は武道館の設備や館内設計も異質であるという。「武道館は均衡のとれた左右対称の作りになっていて、中央を客席、1階席、2階席が囲みます。この1階席、2階席がかなりの高さでして、特に中央から離れた2階席の端(後ろ)、通称「天空席」は中央から70mほどの遠さとなります。これがどういうことを意味しているかと言うと、演者側からすれば体感的に360度、上から下までファンに埋め尽くされている状態に感じるわけです。見渡す限りファンが自分のことを見てくれるということに加えて、武道館はドームに比べると規模も小さく、観客と演者の距離が近いのでより一体感を抱くはずです」。ファンの声援を正面からだけではなく背中でも受けており、それが常にアイドルを演じなくてはいけないという緊張感を発生させ、アイドルとしての気持ちを引き締めてさせているのかもしれない。これはプレッシャーともとれるが、見方を変えれば誰もが自分を見てくれる特別な状況とも受け取ることができる。四方八方をファンに囲まれているライブの様子は、ステージに立つアイドルにとって最高の空間となり得るのだ。そして、この特別なステージを観たアイドルの卵たちにも鮮烈な印象を残したに違いない。

アイドルという物語の終着点としての武道館
武道館はアイドルにとって憧れの場所であると同時に、ファンが自分のことだけを見てくれる最高のライブ会場であることがわかった。しかし、アイドルが武道館に到達するまでは並々ならぬ努力、才能、運が必要ではないだろうか。「おっしゃるとおりです! 10年ほど前からアイドル戦国時代と呼ばれるようになり、地下アイドル、ローカルアイドルなどアイドルの方向性の変化、母数の増加が顕著になりましたが、武道館でライブをできるアイドルは一握り。メジャーデビューできないアイドルもいるわけですから、大多数のアイドルにとって武道館は夢のまた夢です。よく巷で言われている「アイドルの活動限界年齢は25歳まで」という話にもあるように、武道館ライブまでの道のりは本当に過酷なものだと一アイドルファンとして実感しています」。だからこそ推しのアイドルが武道館でライブをできた暁には、感極まってしまうのだとか。「アイドルの歩んだ軌跡って物語としてファンに受け止められやすいんです。どんな歌を歌って、どこでライブをして、どんな挫折をして、それを乗り越えてというように推しの活動一つひとつを見ていくことによって、ファンは彼女たちへの理解と思い入れを深めていきます。特に今のアイドルはグループ活動が主流。事務所がある程度の方針は決めるものの、基本的にはアイドル一人ひとりに主導権を持たせて活動させています。ここが70~80年代の厳格なコンセプトや演出のもとに作られたアイドルとの大きな違いでしょう。ひとつのグループのなかで競い合って、お互いを高め合っていくアイドルたちの過程に我々(ファン)はカタルシスを感じるわけです。そして、その物語の終着点となるのがまさに武道館。ちなみに私の推しである元ハロプロ所属の稲場愛香さんも今年の5月30日に武道館で卒業コンサートを行い、ハロプロを巣立っていきました。ハロプロは武道館を卒業の場所として認識しておりまして、何人もの先輩アイドルが卒業コンサートを行ってきました。アイドルの聖地・武道館で卒業できるのは本当に名誉なことですから、多くのアイドルにとっては理想の終わり方とされています。アイドルに武道館はこのうえなくふさわしい舞台と言えるでしょう」。

― ポップカルチャー時代のはじまりを告げ、山口百恵によって伝説と化した日本武道館。アイドルにとって武道館とは“憧れ”の場所であり、そこでライブをすることはアイドルという偶像が“神格化”することを意味するのかもしれない。武道館はこれからもアイドルたちの目標であり続けるだろう。

ファンで埋まる日本武道館

Thanks! 集英社

ピーター・ブレイクの90歳の誕生日を祝うチャリティ・コンサートが12月2日に開催
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のアルバムジャケットを手掛けたことで知られているピーター・ブレイクが今年6月に90歳を迎えたことを祝し、12月2日(英国時間)にチャリティ・コンサートが英ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで開催される。ノエル・ギャラガー、マッドネス、ロジャー・ダルトリー(ザ・フー)、バクスター・デューリー、クリッシー・ハインドが出演予定で、ポール・ウェラーがキュレーションを務める。ポール・ウェラーは声明で「70年以上にわたって僕らに多くのものを与えてくれた素晴らしいアーティストを祝福しようと集まるんだ。ありがとう、ピーター」と述べている。公演の収益はティーンエイジ・キャンサー・トラストとグレイアイ・シアター・カンパニーに寄付される。グレイアイ・シアター・カンパニーのジェニー・シーレイは「ピーター・ブレイクはパトロンとして、アーティストとして、やさしい人物としてグレイアイ・シアター・カンパニーに参加してくれている伝説的な人物です。彼はキラリと光る目を持ち、ナンセンスではない、私たちの心の中にあるラディカルな破天荒さを体現してきました。誕生日、おめでとうございます。グレイアイ・シアター・カンパニーのファミリーから多くの愛を」と語っている。本コンサートのチケットは10月21日9:00(英国時間)より Crosstown Concerts で発売される。2014年、ピーター・ブレイクはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールに「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」風のコラージュを制作している。このコラージュは1871年のオープンから同会場に出演してきた400人以上のモンタージュを使って制作されたものとなっている。コラージュにはノエル・ギャラガー、デヴィッド・ボウイ、ジミ・ヘンドリックス、モリッシー、アデル、ワン・ダイレクション、イギー・ポップも登場している。

Sir Peter Blake:Celebrating His 90th Year

Thanks! NME Japan


関連Blog
2014/5/1のBlog ピーター・ブレイクがサージェント・ペパーズを模したアートワークを発表


アルバム「リボルバー」作品解説 その3 アートワーク、B面全曲解説
Revolver - The Beatles

「リボルバー」スペシャル・エディション の発売を記念して、アルバム解説の連載3回目。

アートワーク
ビートルズには秀逸なアルバム・ジャケットが数多くあるが、「リボルバー」は「ウィズ・ザ・ビートルズ」「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」「アビイ・ロード」などと並ぶ印象的なデザインとして、ファンの間で人気の高い一枚だ。ジャケットのデザインが決まる前に、まずアルバム・タイトルの候補がいくつかあった。その有力候補の一つは「リボルバー」のレコーディング開始直後の1966年4月15日に発売されたローリング・ストーンズの「アフターマス」をもじった「アフター・ジオグラフィ」。これは、災害の余波を意味する「Aftermath」を「After」と「math」(数学)に分け、「math」ではなく「Geography」(地理)にしてしまうというリンゴならではの造語だった。それ以外にも「Abracadabra」「Beatles On Safari」「Pendulums」「Magic Circle」「Four Sides Of the Circle」「Four Sides Of the Eternal Triangle」などが候補に挙がっていた。その後、レコードがプレイヤー上で回る(音が流れる)イメージを元に、「回転」を意味する「リボルブ(Revolve)」からの流れでアルバム・タイトルは「リボルバー」に決まった。当初は「ウィズ・ザ・ビートルズ」から「ラバー・ソウル」までのアルバム・ジャケットの写真を撮影していたロバート・フリーマンの写真をコラージュした、より「回転」したイメージが伝わるジャケット・デザインも作られたが、採用されずに終わり、代わりにクラウス・フォアマンに声がかかった。クラウス・フォアマンはデビュー前のビートルズにハンブルクで出会うという、4人を最も古くから知る親友の一人だった。ジョンからジャケット・デザインの依頼を電話で受けたクラウスはEMIスタジオへと向かい、3分の2ほどのレコーディングが終わっていたアルバム「リボルバー」から、まず最初に「トゥモロー・ネバー・ノウズ」を聴いたという。(依頼を受けた時には、アルバム・タイトルはまだ決まっていないとジョンに言われたとクラウスは回想している) 聴いた曲のイメージを元にクラウスがスケッチを描いたところ、髪の毛が強調された4人の描写をビートルズ側が気に入り、その流れで作業を進めることになる。そしてジャケットは、3週間ほどかけて仕上げられた。クラウスによると、デザインはアパートの3階にある小さな屋根裏部屋のキッチンで、1週間ほど集中して作業したという。また、白黒にしたのは、カラフルなジャケットが当時は多かったので、より目立つと思ったからだという。クラウスが描いたイラストを元にロバート・フリーマンが撮影した写真をコラージュし、斬新なイメージに満ちたポップ・アート的な「リボルバー」のジャケットは、こうして完成した。その際クラウスはジョージの髪の名かに自分の顔写真とクレジットを入れ、さらにポールの耳に中にも自画像を描いている。アルバムの裏ジャケットには1966年5月19日に「ベイパーバック・ライター」と「レイン」のプロモーション・ビデオをEMIスタジオで制作中の4人をロバート・ウィタカーが撮影した写真が使われた。また各曲にはリード・ボーカリストの記載の他に、「ラヴ・ユー・トゥ」にタブラ奏者のアニール・バグワットと「フォー・ノー・ワン」にホルン奏者のアラン・シヴィルの名前(だけ)がクレジットされている。「リボルバー」は1967年度のグラミー賞の最優秀カバー/グラフィック・アーツを受賞した。クラウス・フォアマンはその後、ビー・ジーズの「ビー・ジーズ・ファースト」やジャッキー・ロマックスの「ディド・ユー・エヴァー・ハヴ・ザット・フィーリング?」などのジャケットを手掛け、リンゴ・スターの「リンゴ」では付録ブックレット用に収録曲をイメージしたリトグラフを描いている。さらにジョージ・ハリスンの「クラウド・ナイン」からのセカンド・シングル「FAB」(ビートルズ時代を振り返った内容)では「リボルバー」をオマージュしたジャケットも手掛けた。クラウスはベーシストとしても活動し、マンフレッド・マン、ジョン・レノンとヨーコ・オノのプラスティック・オノ・バンド、ジョージのが主宰した「コンサート・フォー・バングラ・デシュ」に参加したほか、ジョンの「ジョンの魂」「イマジン」、ジョージの「オール・シングス・マスト・パス」、リンゴの「リンゴ」をはじめ、特に70年代前半のポール以外のソロ・アルバムに参加した。ちなみに「リボルバー」の原画はリンゴの義弟となったジョー・ウォルシュ(リンゴの妻バーバラの妹と結婚)が、たまたまロサンゼルスで見つけて、今でも持っているそうだ。


楽曲解説 (B面)
グッド・デイ・サンシャイン
ビートルズには天候をテーマにした曲がいくつかあるが、これもそのひとつ。「天気が良く、風が心地良い日に、ジョンの家の2階で生まれた夏の歌だった」とポールが語っているように、晴れやかで爽やかなイメージを、ラヴィン・スプーンフルの「デイドリーム」のような雰囲気でまとめた粋な1曲だ。リンゴのドラムやジョージ・マーティンのピアノもクールな響きで心地よい。この曲は1テイクしか録られていないためか、今回の記念盤には唯一別テイクや別ミックスは収録されていない。

アンド・ユア・バード・キャン・シング
イントロからのツイン・リード・ギターと、ジョンとポールのハーモニーが印象的なジョンの曲で、ビートルズの曲の中でもソリッドなロックとして裏ベスト的な人気がある。「アンド・アイ・ラヴ・ハー」と同じく“アンド”を付けたのがセンスの良さだ。だが、ジョンはなぜかこの曲を気に入っていない。「アンソロジー2」にはジョンとポールがところどころ笑いながらボーカルをダビングしているファースト・バージョンのテイク2が収録されていたが、今回の「スーパー・デラックス・エディション」には、それより幾分やりとりが長く演奏のミックスも一部異なるテイクのほかに、初登場となる、2人のボーカルをダビングする前のテイク2とセカンド・バージョンのテイク5の計3テイクが収録されている。

フォー・ノー・ワン
「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」と並ぶポールのバラードの秀作で、この曲もジョンのお気に入りである。ポールの弾くクラヴィコードがクラシカルな曲調に溶け込み、浮遊感のある味わいが格別。ハイハット・シンバルとタンバリンで静かにアクセントを付けたリンゴの貢献度も素晴らしい(ジョンとジョージは不参加)。ジョージ・マーティンの要請で参加したアラン・シヴィルによる間奏のフレンチ・ホルンが、荘厳な雰囲気を見事に演出している。今回の「スーパー・デラックス・エディション」には初登場のテイク10(バッキング・トラック)が収録されている。

ドクター・ロバート
「ドラッグやピルがテーマ」とジョンが言えば、「ドラッグで元気にしてくれる医者というおかしなアイディアをパロディにした」とポールが言うドラッグ・ソング。とはいえ架空の話かというと、さにあらず。ドクター・ロバートはLSDを混入したコーヒーをジョン夫妻とジョージ夫妻に勝手に飲ませた歯科医のジョン・ライリーやニューヨーク在住のロバート・フレイマンほか、実在の人物を歌い込んだと言われているが、誰かは特定されていない。「リボルバー」の中では最も明朗快活なサウンドで、特にジョンのリズム・ギターの響きが抜群だ。初期であれば最後まで軽快に押し切るサウンド作りに徹したかと思うが、ポールが手掛けた“Well, well, well, you're feeling fine”で始まるサビでのテンポ・チェンジやリズムの変化の妙が、中期のビートルズ・サウンドの味わい。今回の「スーパー・デラックス・エディション」には、初登場のテイク7が収録されている。

アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー
「エイト・デイズ・ア・ウィーク」と並ぶ、フェイド・インで始まる“代表曲”のひとつ。「リボルバー」に収録されたジョージの3曲目になるが、1991年の日本公演のオープニングに演奏されたことで、曲の知名度が上がったかもしれない。「嘘つき女」や「愛のことば」などと同じくコーラスが耳に残るブギ・ウギ調のロックで、リンゴの力強いドラムや、不協和音を奏でるポールのピアノが印象的だ。「ラヴ・ユー・トゥ」の“Granny Smith”と同じく、この曲も録音時のタイトルは、りんごの品種“Laxton's Superb”で、翌日に“I Don't Know”になった。ただし、ジョージ・マーティンに曲名を訊かれて“I Don't Know”とジョージが答えたのは、曲名としてではなかったかも。今回の「スーパー・デラックス・エディション」には、初登場の「スピーチ&テイク4」が収録されている。

ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ
ビートルズ初のブラス・ロック。当初は「グッド・デイ・サンシャイン」と同じくコーラスを多用したクールな仕上がりだったが、アレンジを大幅に変え、サウンズ・インコーポレイテッドが加わったことで、より洗練されたサウンドへと生まれ変わった。歌詞は一見“君”との生活を思い描いたように受け取れるが、「この曲の相手は人ではなくマリファナ」(ポール)、「LSD体験の結果生まれたに違いない」(ジョン)と2人とも発言している。ジョンが絶賛する、ポールが書いたドラッグ・ソングである。「アンソロジー2」にはファースト・バージョンのテイク5が収録されていたが、今回の「スーパー・デラックス・エディション」には、それよりも幾分長いテイク5と、初登場の「セカンド・バージョン/アンナンバード・ミックス」と「セカンド・バージョン/テイク8」の計3テイクが収録されている。

トゥモロー・ネバー・ノウズ
「リボルバー」の最後を飾るサイケデリックで難解な曲が、実はセッションの一番最初にレコーディングされた曲だというのが、ビートルズが当初から革新的サウンドを求めていた証ともなる。「Mark Ⅰ」と呼ばれていた、全く表情の異なるテイク1も絶品だが、ビートルズ版現代音楽の最高峰ともいえる完成版は何より素晴らしい。ポールが自宅で録音した「かもめの鳴き声」を模したテープ・ループを取り込んだり、ジョンの声質をいじったり、テープの逆回転を使ったりと、奇妙奇天烈なサウンドに耳を奪われる。歌詞もジョンの最高傑作のひとつだ。「アンソロジー2」にはテイク1が収録されていたが、今回の「スーパー・デラックス・エディション」には、テイク1の幾分長いテイクと、初登場の「モノ・ミックス RM 11テイク5」が収録されている。


Thanks! ユニバーサル ミュージック

ビートルズの絶頂期に起きた税金対策の大失敗
ビートルズ

1960~70年代に活躍した英国のバンド「ビートルズ」は、なぜ絶頂期に解散してしまったのか。元国税調査官の大村大次郎は「最大の要因は「税金」と「お金の管理」の問題だ。当時、メンバーに課された所得税は95%とされ、税金対策がビートルズの解散の一因になった」という。
(本稿は お金の流れで読み解く ビートルズの栄光と挫折 の一部を再編集したものです)

大活躍したビートルズが解散した根本原因
ビートルズは前半期には世界の音楽シーンを一新する大活躍をするが、後半期には迷走とも言えるような動きをする。会社をつくって大失敗したり、4人の仲が悪くなったり、最終的にはメンバー間で訴訟さえ起きてしまうのだ。こうなった最大の要因は「税金」と「お金の管理」の問題なのである。事業が軌道に乗ったときに、気をつけなくてはならないことが「税金」と「お金の管理」である。とくに事業が急激に拡大した場合、税金というものが非常に重たくのしかかってくる。ビートルズには「タックスマン」という曲がある。ジョージ・ハリスンがつくった曲であり、次のような歌詞で始まる。どういうふうになっているか説明しましょう

あなたには「1」こちらは「19」で分配されます
なぜなら私は税務署員だから

この曲は、その名の通り、税務署員のことをテーマにしたものだ。もちろん、税金の高さを嘆いたものである。ビートルズの全盛期、英国は史上もっとも「金持ちへの課税」が大きかった時代である。所得税の最高税率はなんと95%。歌詞の中にあるように、20のうち19が税金として取られ、自分たちには1しか残らない。当時は東西冷戦の真っただ中であり、まだ世界の人々が共産主義に夢を抱いている時期でもあった。若者の中には、共産主義に傾倒する者も多かった。そのため、西側の資本主義国も、国内の共産主義運動を抑える目的で、富裕層の課税を強化し、社会保障を充実させようとしていた。だから、このころは西側諸国のどこも富裕層の税金が高かった。日本でも、高額所得者の最高税率は約90%だった。

税金のことを考える暇もないまま高額納税者に
ビートルズは、デビュー以来、あっという間に高額所得者になった。デビュー3年目の1965年の時点で、ジョンとポールが400万ドルずつ、ジョージとリンゴは300万ドルずつの資産を持っていたとされている。(ジョンとポールは作曲印税があったので、100万ドル多かった) 当時の日本円換算で、ジョンとポールが14億4000万円ずつ、ジョージとリンゴが10億8000万円ずつ持っていたことになる。当時は今より物価が安かったので、相当な資産だった。ビートルズは、アマチュア時代に「音楽で食っていくこと」を最大の目標としていた。厳しく長い下積み時代を経て、ようやく音楽で食っていけるようになったら、今度は高額の税金に悩まされることになったのだ。この高額所得者の高い税率は、芸能人などにとっては酷な面もあった。芸能人は、ビートルズのように下積み時代は収入が低く、売れると急に高額所得者になるケースが多い。富裕層のように、ずっと高額所得者だったわけではないのだ。しかし、税制は下積み時代のことはまったく考慮せずに、ほかの富裕層と同様に、収入に対して、等しく税金が課せられることになっている。又、芸能人というのは、今が売れているからといって、そのまま売れ続けるとは限らない。というより、むしろ売れる期間は短いのが普通だ。だから売れているときに、なるべく貯蓄をしておきたいものである。が、芸能人は恒久的な富裕層と同様に高額の税金がかかるので、貯蓄しようにも貯蓄できないのだ。

「節税会社」をつくって対策を取る
ミュージシャンなどの芸能人は税金に疎いことが多い。だが、ビートルズは、マネージャーのブライアン・エプスタインが実業家だったこともあり、比較的早く税金対策に手をつけていた。ビートルズの税金対策の中心は、会社設立だった。当時の英国では、普通の報酬や給料には高い所得税が課せられていたが、株の配当による税金は安かった。そのため、会社をつくり、ビートルズの収入をいったんその会社にプールし、ビートルズの面々は会社から配当を受け取るという仕組みにしていたのだ。ビートルズの会社というと、アップルが有名だが、アップルを設立する以前からビートルズは、いくつか会社をつくっていたのだ。その主なものは、ジョンとポールの作曲印税を管理していたレンマックという会社である。レンマックは、ジョン、ポール、ブライアンの3人でつくられた会社で、株はジョンとポールが40%ずつ、エプスタインが20%持っていた。ジョンとポールが、著作権印税を直接もらうと高額の所得税がかかる。そのため、著作権印税は、いったんレンマックという会社に入り、レンマックからそれが配当という形で、ジョンとポールに支払われるようになっていたのだ。

お金の流れで読み解く ビートルズの栄光と挫折

タックスヘイブンも駆使するが
又、ビートルズは税金対策としてタックスヘイブンを使うこともあった。タックスヘイブンというのは、直訳すると「租税回避地」であり、税金が極端に安い国や地域のことである。島嶼国とうしょこくなどの小国が、企業や富裕層を誘致するために、安い税制を敷いているのだ。そういう国々にとっては、税金が取れなくても、企業や富裕層が現地でお金を落としてくれるだけで、経済が活性化する。このタックスヘイブンは、大企業や富裕層の税金対策としても使われている。ビートルズも1965年ごろから、マネージャーのブライアンが、彼らの収入を課税率の低いタックスヘイブンの口座へ分けて振り込むようにしていた。ビートルズは、第2弾目の映画「ヘルプ!」をバハマ諸島で撮った。それは、バハマがタックスヘイブンだったからなのだ。映画「ヘルプ!」はバハマの会社キャバケイド・プロダクションズが制作したことにした。キャバケイド社はビートルズと「ヘルプ!」のプロデューサーが共同出資した会社である。この会社には、ほとんど税金が課せられない。又、ビートルズの報酬はこのキャバケイド社から現地で支払われていたので、これまた税金はほとんどかからない。さらに、この出演報酬をバハマの銀行に預金していた。英国に持ってくれば、英国の税務当局から課税される恐れがあったが、バハマに置いたままであれば、その心配はなかったからだ。しかし、この節税策はうまくいかなかった。英国が1967年にポンドの引き下げをおこなったため、キャバケイド社は8万ポンドの損失を出してしまったのだ。タックスヘイブンを使って節税策を施す場合、為替の変動などのリスクも非常に大きいのである。

もとは「アップル」も税金対策会社だった
このように、いろいろ税金対策を駆使してきたビートルズだが、それでも英国の厳しい税制は、彼らにとって重い足かせとなっていた。1966年当時、ビートルズの課税額の見積もりは約300万ポンドだったと言われている。日本円にして約30億円である。半世紀前の30億円となると相当の価値があったはずだ。それが税金として取られてしまうのである。そのため、ビートルズは新たに会社をつくった。かの有名なアップル社である。アップルは、単なる税金対策会社にとどまらない。自分たちのレコードをつくり、その莫大な収入で、ほかのいろんなクリエィティブ事業を試みるというものだった。ビートルズは、アップルを通して、音楽、映像、美術など、さまざまなアーティストを発掘し、世界の芸術の先端をいくつもりだった。サイケデリックな服、雑貨などを集めた“アップル・ブティック”など、商業界にも革命をもたらす予定だった。いわば「アーティストの理想郷」のような場所をつくろうということだ。今のままでは、ビートルズの莫大なレコード収入のほとんどが、税金として持っていかれてしまう。税金に取られるくらいならば、自分たちの好きなことにお金を回し、新たなカルチャーをつくりたいということだった。ビートルズは、デビュー前、あちこちのレコード会社から断られたという苦い経験がある。そのため、若いアーティストたちに、自分たちのような思いをしなくてもいいシステムを提供しようと考えたのだ。ビートルズはアップルの設立趣旨をこう説明していた。「みんな僕らのところにきて「こういうアイディアがあるんです」って言ってくれればいい。そしたら僕らは「やってごらんよ」って言ってあげる」。

「地元のダチ」を経営に参加させたジョン
しかし、生き馬の目を抜くと言われるエンターテイメントビジネスの世界において、事業の経験がまったくないビートルズが、いきなりうまく行くはずがなかった。音楽であれば、彼らにはもとからの才能があり、地を這うような努力の成果があったので、大成功を収めることができた。しかし、ビジネスの世界では、彼らはまったく何の力もなかったのである。が、彼らは音楽で成功したのと同じように、ビジネスでも成功すると思い込んでしまった。それはある意味、仕方ない面もある。何しろ、当時の彼らはま20代半ばなのだ。20代半ばで大成功を収め、莫大なお金を手にすれば「自分たちは何でも成功できる」と勘違いするのも無理はない。大金を元手に会社をつくったが、ビートルズの面々が直接事業をするわけにはいかない。かといって、事業を任せられる有能なビジネスマンの知り合いもいない。彼らはどうしたのか? なんと、事業の経験もない「地元のダチ」に、いきなり大きなビジネスを任せたのである。それはまるで「不良少年がいきなり大金を手にして舞い上がっている」という構図そのものなのである。

事業で大赤字を計上
ジョンは、幼なじみでクオリーメンのメンバーだったピート・ショットンにアップル・ブティックを任せた。ピートはクオリーメンでウォッシュボードという打楽器を担当していたが、ポール、ジョージが加入し、クオリーメンが本格的なギターバンドになると、居づらくなってやめている。が、ジョンとは、その後も交流があった。アップル設立以前にも、ジョンは税金対策としてスーパーマーケットを買収し、その経営を、このピートに任せていた。そして、アップル設立の際には、アップルの中核事業とされていたブティック業務を任せたのだ。ジョンはピートに依頼をするときに「200万ポンド使わなきゃいけないんだ。そうしないと税務署に持っていかれる」と言ったという。スーパーマーケットであれば、ビジネスのフォーマットはあり、地域住民にとっては必ず必要なものなので、経営は場所さえよければどうにかなる。しかし、ブティックはそうはいかない。品ぞろえが悪ければまったく売れないし、店の内装などにも専門の知識が必要となる。ピートは、地方都市リバプールの単なる若者である。いわば「田舎のあんちゃん」に過ぎない。もちろん、ブティックの経営知識などはない。アップル・ブティックは、オシャレに見せるために店内の照明を暗くしたため、万引き天国となってしまうなど、明らかな失敗を犯し、たちまち大赤字を出した。

最悪だった「ブライアン・エプスタイン急死」
この時期、ビートルズにとって最悪に不幸だったのは、マネージャーのブライアンが死去してしまっていたことだった。よく知られるようにブライアンは、1967年、ビートルズの絶頂期に死亡してしまう。彼は精力的に活動する一方で、精神的に弱い面があったとされ、晩年は薬物に頼ることが多かった。ビートルズが1966年に過酷なライブ・ツアーをやめてしまい、バラバラに行動するようになってからは、とくに疎外感を覚えていたようだ。ブライアンは自宅で薬物の多量摂取により、死に至ってしまった。当初は自殺も疑われていたが、警察の発表では自殺ではないということになっている。このブライアンの死により、ビートルズはビジネス的に漂流してしまうことになる。もともとアップルは、ブライアンが構想していたものだった。彼は優れた実業家だったので、ビートルズの夢想じみたアイディアも、うまくビジネスに結びつけられたはずだ。また、彼らにビジネス上の適切な助言を与え、暴走を食い止めることもできただろう。しかし、ブライアン亡きあとのビートルズには「ビジネス面を任せられる大人」は皆無に等しかった。いや、むしろビートルズに群がってくるのは、彼らの財産を目当てに美味しい思いをしようという、山師ばかりだったのだ。

税金対策で破産の危機に直面
そういう人たちが、ビートルズの金を無責任に散財していく。アップル名義で購入された高級車が2台も行方不明になるなど、常識では考えられない事態が生じていた。「儲けたお金を税金対策のために、ほかのところに投資する」ということで始められたアップルだったが、ビートルズの想像をはるかに超えて経費がふくらんだ。儲けたお金はすべて費消し、逆に赤字になってしまうという始末だった。アップルは、操業して1年も経たないうちに経営難に陥り、このままではビートルズの面々は破産するという事態に陥ってしまったのだ。

お金の流れで読み解く ビートルズの栄光と挫折

大村大次郎
1960年生まれ。大阪府出身。元国税調査官。国税局、税務署で主に法人税担当調査官として10年間勤務後、経営コンサルタント、フリーライターとなる。難しい税金問題をわかりやすく解説。執筆活動のほか、ラジオ出演、「マルサ!!東京国税局査察部」「ナサケの女~国税局査察官~」などの監修も務める。主な著書に「あらゆる領収書は経費で落とせる」「ズバリ回答! どんな領収書でも経費で落とす方法」「こんなモノまで! 領収書をストンと経費で落とす抜け道」「脱税の世界史」ほか多数。

Thanks! PRESIDENT Online

LP+ターンテーブルマット Revolver:Special Edition [Amazon Exclusive] 10月28日米国発売
米 Amazon 限定でターンテーブルマット付きアナログ盤 Revolver: Special Edition [Amazon Exclusive Edition LP+Turntable Mat] が10月28日に米国で発売されます。

Revolver: Special Edition [Amazon Exclusive Edition LP+Turntable Mat]

Revolver: Special Edition [Amazon Exclusive Edition LP+Turntable Mat] / ビートルズ 10月28日米国発売

Side 1 2022 Mix
Taxman
Eleanor Rigby
I'm Only Sleeping
Love You To
Here, There and Everywhere
Yellow Submarine
She Said She Said

Side 2 2022 Mix
Good Day Sunshine
And Your Bird Can Sing
For No One
Doctor Robert
I Want To Tell You
Got To Get You Into My Life
Tomorrow Never Knows

Thanks! Capitol



TV , ラジオ
3/31 10:55~11:00 らじるの時間 NHK-FM
3/31 10:55~11:00 らじるの時間 NHKラジオ第1
3/31 14:25~14:30 らじるの時間 NHKラジオ第2
3/31 23:55~24:00 らじるの時間 NHK-FM
4/9 13:00 ディスカバー・ビートルズⅡ NHK-FM
4/14 10:00 ディスカバー・ビートルズⅡ NHK-FM

CD
3/31 ビートルズ 1964・US・ファースト・アタック
3/31 ウイングス Live In Melbourne
3/31 ポール・マッカートニー Live In The USA 1993
3/31 ゲイリー・ムーア スティル・ゴット・ザ・ブルーズ (ジョージ・ハリスン参加)
4/7 ジョージ・ハリスン Live Collection
4/19 ウイングス オン・ツアー・ウィズ・ア・リトル・ビット・オブ・ベネルックス 1973
4/21 イアン・ハンター Defiance Part 1 (リンゴ・スター参加)
4/21 NOW That's What I Call Massive Hits #1s (ポール・マッカートニー曲収録)
4/21 エミット・ローズ Emitt Rhodes Recordings 1969-1973
4/22 リンゴ・スター Stop and Smell The Roses
4/26 マイク・ヴァイオラ ポール・マッカーシー
4/28 ジョージ・マーティン ビートル・ガール 1964-1966
5/19 ラー・バンド Clouds Across The Moon – The Rah Band Story Vol.2
5/26 ポール・マッカートニー Live On Air / Radio Broadcast Recordings 1990 / 1993
秋 ドリー・パートン Rock Star (ポール・マッカートニー参加)
年内 ヨーコ・オノ ストーリー
年内 ヨーコ・オノ シーズン・オブ・グラス
年内 ヨーコ・オノ イッツ・オールライト
年内 ヨーコ・オノ スターピース
年内? ローリング・ストーンズ (ポール・マッカートニー、リンゴ・スター参加?)

グッズ
3/31まで ザ・ビートルズ「リボルバー」Tシャツ・プレゼント
8月 BE@RBRICK The Beatles "REVOLVER"

イベント
3/31まで The Beatles:Get Back to Let It Be 展
4/1 ビートルズのチカラ! 東京・中目黒
4/2 ビートルズのチカラ! 東京・中目黒
4/7~9 レコードフェスタ大阪
4/8 13:00 アラウンド・ザ・ビートルズ2023 いま改めてビートルズの魅力を再検証
4/9 14:00 「プリーズ・プリーズ・ミー」発売60周年記念 ~デビュー前後のビートルズ~
4/15 14:00 AUTOMOBILE COUNCIL 2023 60年代はクルマと音楽の黄金時代~ブレッド&バター
4/15 16:00 AUTOMOBILE COUNCIL 2023 立川直樹 選曲 (ビートルズ他)
4/21 19:00 MUSIC LIFE ザ・ビートルズ リボルバー エディション 出版記念 ロック落語会
4/22 レコード・ストア・デイ Record Store Day 2023
4/23 14:00 NHKカルチャー ザ・ビートルズのアルバムデビュー60周年 語り尽くしの「THE BEATLES」
4/23 14:30 ビートルズを楽しむ
4/23 BACKBEAT プレビュー公演
4/28~5/3 BACKBEAT 兵庫公演
5/6~7 BACKBEAT 熊本公演
5/13 13:00 アラウンド・ザ・ビートルズ2023 いま改めてビートルズの魅力を再検証
5/19 18:00 MUSIC LIFE トークショウ in OSAKA
5/19~6/17 リンゴ・スター 北米ツアー
5/20~21 BACKBEAT 大阪公演
5/24~31 BACKBEAT 東京公演
5/28 Mojomo ビートルズデイ 2023
6/3 13:00 アラウンド・ザ・ビートルズ2023 いま改めてビートルズの魅力を再検証
6/7~16 藤本国彦と行くビートルズゆかりの地への旅 ロンドン・リバプール・ハンブルグ
6/10 12:00 ポール・マッカートニー研究会 梅の部対談 Vol.3 祝!赤盤・青盤発売50周年
6/11 12:00 ポール・マッカートニー研究会 梅の部対談 Vol.3 祝!赤盤・青盤発売50周年
6/24 ウクライナ支援コンサート (ポール・マッカートニー出演?)
6/28~10/1 Paul McCartney Photographs 1963–64 Eyes of the Storm
夏 Fender Flagship Tokyo

アナログ盤
4/7 イースト・オブ・エデン Snafu (ジェフ・ブリットン参加)
4/14 マイク・ヴァイオラ Paul McCarthy
4/21 イアン・ハンター Defiance Part 1 (リンゴ・スター参加)
4/22 ウイングス Red Rose Speedway 50周年記念限定盤
4/22 ジョン・レノン Gimme Some Truth 10インチEPボックス
4/22 リンゴ・スター Stop and Smell The Roses
4/22 エディー・マネー The Covers (ビートルズ曲収録)
年内 ヨーコ・オノ ストーリー
年内 ヨーコ・オノ シーズン・オブ・グラス
年内 ヨーコ・オノ イッツ・オールライト
年内 ヨーコ・オノ スターピース

本、雑誌、ムック
4/10 名曲!ビートルズ~乃木坂46
5月 ディスカバー・ビートルズ THE BOOK
5/26 初盤道 究極のアナログレコード攻略ガイド オリジナル・ファーストプレスを求めて(仮)
6/13 ポール・マッカートニー 1964 Eyes of the Storm
夏 「タッグ・オブ・ウォー」図鑑(仮)
年内 ポール・マッカートニー国内盤シングルレコード大全(仮)
年内 マル・エヴァンス伝記本

映画
4/11 Little Richard:I Am Everything (ポール・マッカートニー出演)
4/16 19:00 トークイベント付き上映 ジョン・レノン ~音楽で世界を変えた男の真実~
4/21 Little Richard:I Am Everything (ポール・マッカートニー出演)
4/30 10:20 トークイベント付き上映 ジョン・レノン ~音楽で世界を変えた男の真実~
4/30 13:00 トークイベント付き上映 ゲット・バック
年内? Man on the Run
年内? Daytime Revolution (ジョン・レノン&オノ・ヨーコ出演)

Web配信
4/21 Little Richard:I Am Everything (ポール・マッカートニー出演)

4K Ultra HD , Blu-ray , DVD
4/26 ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド DVD