サディスティック・ミカ・バンド、YMOを支えた高橋幸宏の軌跡を振り返る

WHAT, ME WORRY? - 高橋幸宏

エレクトロニック・ミュージックの先駆者であるイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のドラマー兼リード・ボーカリスト、高橋幸宏が70歳で亡くなった。高橋の事務所はジャパンタイムズとNHKに声明を発表し、1月11日に誤えん性肺炎で死去したことを認めた。高橋は以前、2020年に脳腫瘍の摘出手術を受けたことを明かしていた。東京都出身の高橋は、オリジナル・ドラマーである角田ひろ(つのだ☆ひろ)の脱退後に加入したサディスティック・ミカ・バンドで活動を開始。1975~76年、ロキシー・ミュージックの「Siren」ツアーでオープニングを務め、BBCのTVやラジオに出演するなど、英国で成功を収めた。バンド解散後、高橋はメンバーの一部とサディスティックスとして活動を続け、2枚のスタジオ・アルバムをリリースしたあと、解散した。


1978年、高橋、キーボード/ボーカルの坂本龍一、ベース/キーボード/ボーカルの細野晴臣(エイプリル・フールとはっぴいえんどに在籍)の3人でイエロー・マジック・オーケストラを結成。シンセ、シーケンサー、ドラムマシンを駆使し、エレクトロサウンドの先駆者として80年代をリードする。彼らはクラフトワークやジョルジオ・モロダーなど、この分野の他のパイオニアたちからインスピレーションを得ていた。同名のデビューアルバムに収録されたシングル「コンピューター・ゲーム」は英国でトップ20に入り、米国でも話題となるなど、驚きの世界的ヒットとなった。1979年にリリースされたYMOの2作目「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」ではクリス・モスデルが英語詞を担当。同作の成功によってYMOは「ソウル・トレイン」にゲスト出演し、印象的なパフォーマンスと、いまやバイラル化した高橋と司会のドン・コーネリアスのインタビューが放映された。


1980年「増殖」、1981年「BGM」「テクノデリック」、1983年「浮気なぼくら」「サーヴィス」など、YMOは80年代に入ってからもリリースを続けたが、大きな人気を獲得しながらも、個々のメンバーがソロ活動を本格化させたことで解散することになった。しかし、細野と坂本は、高橋の最初の4枚のソロアルバムに参加するなど、ソロ活動でも共演を続けていた。1980年に発表された、シンセポップやシティポップの流れを汲む高橋のソロ第2作「音楽殺人」は、YMOのバンドメンバーが参加し、モスデルの英語詞で構成されている。翌年には、ロキシー・ミュージックのフィル・マンザネラやアンディ・マッケイをフィーチャーした「ニウロマンティック」を発表し、「ドリップ・ドライ・アイズ」をヒットさせる。さらに1982年には、ビー・バップ・デラックスのビル・ネルソンやYMOのバンドメイトとコラボした「WHAT, ME WORRY?」をリリースしている。


1981年、ムーンライダーズの鈴木慶一とTHE BEATNIKSを結成し、最初のアルバム「出口主義」をリリース。その後、数十年にわたるパートナーシップを築く。多作なアーティストである高橋は80年代を通じてジャンルを問わずにソロ作品を発表。YMOは活動停止していたが、メンバーは互いのソロプロジェクトでコラボレーションを続けていた。高橋は80年代後半には俳優業、映画のサントラ、ゲーム音楽にも進出した。2000年代には細野と再タッグを組んでスケッチ・ショウを結成。2004年には坂本が加わってヒューマン・オーディオ・スポンジへと発展した。2014年、高橋はMETAFIVEと呼ばれるスーパーグループでツアーを行い、2010年代の後半にスタジオ・アルバム、EP、ライブ・アルバムをリリースした。2020年にシングル「環境と心理」をリリース。高橋はこの曲のリリース直後に腫瘍の脳外科手術を受けるため休養に入った。高橋の訃報を受け、YMOのバンドメイトである坂本がSNSに灰色の四角形をSNSに投稿。ファンが高橋への賛辞を書き残していく器となった。


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